2002.3.14

快適な朝のために

 この数ヶ月間は毎日がドラマのようにいろ〜〜んなことがあり、この日記を更新する気になれなくて・・・。でも、季節はポカポカの春。気分を新たにまた書いていきます。
 さて、「自分の気持ちを文章として表す」とき、皆さんは次のどちらですか?
 イヤなことがあったときに思いの丈を日記や手帳などに書き記してスッキリしようとするほうか、楽しいことがあった時にそのことをつらつらと書き留めて嬉しい気持ちをさらに増長させたいほうか。
 私は、間違いなく後者です。これはもしかしたら、屈折した形の負けず嫌いなのかもしれないけれど、悲しいこととか辛いこととか腹が立ったことを書きためて後生大事に残しておくのなんてとんでもない!と思ってしまうのです。
 それと、それらのことを自分の心の中で考えるのは「跡に残らない」からいいのだけど、書き留めたためにいつまでも残ってしまうことが、時間が経って痛い思い出に触れたとき、にが〜い気分になるのを恐れているのかもしれない。
 あとは、できるのなら、いつでもぬくぬくとあったかいひだまりにたまっていたいというネコのような願望が常にあって、まったりする気分のほうがどうしても性に合っているからかも。
 だからなのかな。普通の人だったらめちゃくちゃへこむのだろうな、こんなとき・・・っていうとき、私ももちろん落ち込むのだけど、でも何処かでアホみたいなこととか楽しいこととか、散歩に行っちゃおうとか、そんな風なちっちゃい「ひだまり探し」をいつもしてしまう自分がいる。辛いことに背中を向けたいという「逃避癖」があるのだろう。
 「鳴いたカラスがもう笑っている」という言葉は、まさしく私のことで、悲しいこととかイヤなこととかをよっぽどでない限り引きずらない。喋るとか泣いてしまうとか、鬱積している思いを素直に吐き出してしまうと、気分がスッキリしてしまって(あ〜、なんかすっきりしちゃったよ)とケロッとしている。これは身体や心にとってはかなり健康的だけど、こういう性質では大きなことを成し遂げて名を挙げるなんていうことはあり得ないだろう。
 体質も、お洒落でない原始人体質。夜遅くまで起きているということがとても苦手なのだ。この頃は深夜12時過ぎまで起きていることがほとんどできない。11時になるとまぶたがおも〜い。そして限界点でベッドに入り電気を消すと、「ワン、ツー、スリー!」で催眠術をかけられたように簡単に眠っている。
 この数ヶ月間のアグレッシブな毎日でも、寝るときには何故か、すぅ〜っとその昼間の出来事が消えている。そしてあっという間に熟睡している。朝になって光が窓から射してくると、「朝だ、朝だ!」、朝がやってきたことにワクワクして、もうお腹がすいているという、これまたお洒落でない原始人モード。ものすごい低血圧なのに、同じ低血圧族の話が嘘みたいだ。
 こんなにおめでたくていいのかなと思いながら、新しい一日の朝の光を浴びていると、今まさに起きている大変なこともどうにかなってしまうような「まっ、いいか」という気分になってくる。
 いつでもそういう朝を自分が迎えたいものだから、一日の終わりにイヤなことを人に話してしまったりすると、聞かせてしまった相手の人がどんな夜を過ごすことになるのかなあ・・・なんてついつい気を揉んでしまって、話してしまってもスッキリできない。だから、夜にはなるべくネガティブなことを話したくない。
 「ひだまり好き」としては、朝起きたときの気持ちが「今日」という日を決める。快適な朝のためにも、夜にはイヤなことを話さないでいたいなあ〜と思ってしまうのだ。