イメージ
誰でもそうかもしれないけど、私はすご〜くせっかちなところと、すご〜くのんびりなところと、とっても両極端にある。
得なのか損なのかわかんないけど、第一印象は、とっても几帳面できちんとしているように見えるらしい。でも私をよく知っている人は、ずぼらで怠慢な私のことも知っているので、「きちんとして見えて得だよね」と言う。そうかなあ?
これが誤解を生む元なんだけど、あんまり他人からよく見られたいとか思わない。それより勝手にわかったふりをされるのはイヤかなあ。誰にでもいろんなところがあるからね。
きっと、ずぼらで怠慢だと言われ続けたら、「私だってきちんとしているところはあるんですよ」なんて主張してみるんでしょうね。
でも、服装や髪型で簡単に「他人から見られる自分」というのは演出できる。私が変身好きなのは、イメージを決めつけられたくないからなのかなあ。だから時々、(今日は○○風で)なんて、勝手にイメージングして楽しんでいるのかもしれない。もちろんそんなことを人に紹介したりしないけど。だって気持ち悪いでしょ、そんなこと唐突に言われたら。
育った環境も表れるというけど、それもどうかなあ。厳粛な家庭に生まれ育って、そのまま真っ直ぐに、よりスクエアな道を目指す人もいるけど、そういう家庭に育ったからこそ放浪に憧れて1970年代ヒッピー風になっている人もいるでしょ。そうかと思うと、身上を潰すほど飲んだくれた豪放磊落なお父さんが反面教師となって、子どもはとってもかたい仕事に就いてコツコツと小金を稼いでいくケースもあるし。でも、かと言って、そういう人がそのまま突き進むとも限らないな。やっぱり心のどこかで、豪放磊落なお父さんにある種のあこがれを抱いていて、中年を過ぎてから突然、同じ道を歩むかもしれない。
な〜んていう風に、人間というのはどこでどんな風になるかわからないから面白いんですね。きっと。
だから、イメージを作るのも楽しいけど、イメージを裏切るのはもっと楽しい。それは自分の楽しみでもあるけど、そんなことを積極的にどんどんしている他人を見るのも大好き。ワクワクする。
生きてる限りは、いくつになっても、いろんな新しい自分を発見できると思う。きっと納得できる自分ができあがることなんてあり得ないのだろうけど、どんどん気持ちよくなっていける自分を作ることって、できるんじゃないかなあ。それには、いろんな自分を試してみるのがいいのかなあ。イメージを決めつけないで、暗中模索。例えそのときは納得いかなくても、いろんな自分を試してみて、しかもそれが人生の中で、第一次であったり第二次であったりして・・・。
一生の自分の年表(?)が彩り豊かになるのは、自分のイメージを決めつけないのがいちばん面白そう。
そんな風に思っている、秋の風が吹き始めた今日このごろです。
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