2003.1.6

みかん

 
 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさんのお正月はいかがでしたか?私はほんとうにのんびりと過ごしました。落ち着きのない私にしてはめずらしく、家でのんびりとテレビを観たり、本を読んだり、何か書いてみたり、ちょこちょこっと作ってみたり・・・しました。というように結局、家にいたとしても、じっとはしていられない私でした。
 今年の冬休みはまるで学生さん並に長かったから、たしかにのんびりできたのだけど、どうして自分の家にいるとちょこちょこ動くのか・・・。それは、家には「こたつ」というものがないからだということがこの冬休みにしっかりわかりました。
 私の実家は都内にあるので、しょっちゅう帰れるし、お正月だからと言って改まって行くこともないのだけど、今年はお休みが長かったので、大晦日から元旦にかけてを実家で過ごしました。そうすると、実家で私はほとんど「お地蔵さん状態」になってしまうのです。自分のダメ娘度を暴露するようなものですが、まめな母親を持つ娘の宿命。ひたすら母の作ったものを、私はただお運びするだけ・・、食べたらお皿を下げるだけ・・・、というそんな情けない時間を気がついたら過ごしていました。母もこんなダラダラした娘に期待することもないのですが、それよりも自分で自分を不思議に思うのです。あれほど落ち着きがなく、自分の家ではじ〜っとしていることが少ないのにどうして実家に帰ると、こんなにダメ人間になるのか。
 もちろん甘えが半分以上あるのでしょうが、それ以前に、なにかこう物理的に動きたくないなにかがあるのです。そして、それが「こたつ」の正体だったことにやっと気付きました。「こたつ」というのはとても素晴らしい。足を入れ、じっとしていると、最初は心許ない温かさで頭のほうとかはとっても冴え渡り、エアコンやヒーターも入れないでいると頬には冷たい空気をひんやりと感じる。ところが30分以上経過すると、身体に温かさが行き渡り、頭はぼぉ〜っとして全身が弛緩してくる。それでちょっとこたつで横になってしまったら、もういつの間にか夢を見ているような始末。「あっ、いけない!これでは風邪を引いてしまう」とムクッと起きあがると、すごくのどが渇いている。それで、お茶を飲んだりお水を飲んだり、そして、みかんが登場する。そういえば、昨年亡くなった愛猫のルルが生きていた頃は、こたつ・みかん・ルルと3点セットだったなあ〜。冬の絵というと、そんな風なイラストが多いけど、定番の3点セットですね。
 こたつに入ってちょっとうたた寝をしてしまって、その後に食べるみかんの美味しさと言ったら、すごいですね〜。冷蔵庫で冷やしているわけでもないのに、口の中に入れた途端にとても冷たくて、そしてしゅわ〜っと広がる甘さと酸っぱさ。おいしい〜〜。
 そういえば、私は小学校の頃、「みかん」と呼ばれていました。今では、とっても、この呼び名は気に入っているけれど、こどもの頃はちょっとイヤだった。それはどうしてかといえば、冬の給食に「みかん」はつきもの。そうすると「男子」から必ず「共食い〜、共食い〜」と囃し立てられてからです。私は、「ふ〜ん、共食いじゃないよ〜っ、だ」と言って平然としていたけど、心の中ではとっても恥ずかしかった。だから、「みかん」の季節になると、こどもの頃の給食の時間がいつも蘇る。まさしく甘酸っぱい思い出なのです。