持てないもの
終わっちゃった! とっくのとうだけど・・・・・・桜の花。
咲く前からいつ会えるのか待ち遠しくて、咲き始めると気持ちがとにかくそわそわして、満開を過ぎると「もうすぐ散っちゃうのかなあ・・・」と不安になってしまって、散ってしまうとまるで夢のよう。
桜の花というのは、2週間くらいの間、まるで恋をしているような気持ちにさせる。
咲いている間はなるべく桜の下を歩く。そうすると身体中がやわらかな淡いピンク色に染まっていくような、おだやかであたたかな気持ちと、ピンと張りつめたような緊張感のどちらもが程よくもらえる。それは私にとって最も好ましい状態だ。まったりした中に一筋の細い芯が通っている、そういう状態を持てることがとても心地いい。
何かを作ったり、楽器を演奏したり、写真を撮ったり、散歩したり・・・。そういうことは、リラックスと緊張感を同時にもたらしてくれる。ずっと変わらずにそういうことが好きなのは、そうしているときの自分の心の在りようがいちばん自分らしくて居心地がいいからなのかもしれない。
本屋さんに行くと、リラックスに様々なスパイスを数振りしたような本が以前よりもさらに多く出版されていることに気づく。サブカルチャーみたいな、かつて本流にならなかったような事柄、脇役みたいな事柄について、まとめられている本がますます増えてきたように思う。地位とか名誉とかお金とかよりも、心をポカポカにあっためたり、クスッと笑えたり、些細な日常をいかに豊かにできるかというところに今は多くのスポットが当たっていることが、とても嬉しい。こどものころに「消しゴムのカスをせっせと集めていた私」を話したところで恥ずかしくなくなったような、そういう感性を共有できる人たちが増えてきたことが嬉しい。「うんと若い人たちが昔と違っておかしくなってきた・・・」と言う人たちもいるけれど、私はあまりそうは思わない。むしろ、小さな日常の中に喜びを見つけられる、そういう日本人のよさみたいなものを復興させてくれたのは、今の、うんと若い人たちの中に出現してきた気がするから。男が弱くなったとか、夢がないとか、醒めているなんて言われるけれど、いったいぜんたい「強さ」ってなんだろう。出世欲、名誉欲を持つことは男らしいことなんだろうか?強いことなんだろうか?
周りではいろいろなことがあるけれど、ほんとうの「世界」のほうがどれだけ大変だろう。ずっと前から言葉ではわかっていたのだけど実感としては湧かなかった。でもこのごろは実感になってしまった。ものすごくちっぽけな世界で虎視眈々としている人たちを見ると、その人たちにはほんとうに申し訳ないけれど、どうしようもなく恥ずかしくなってしまう。哀れになってしまう。そして、そういう一部の人たちに振り回されている人たちは、もっと恥ずかしい。たくさんのものを持ってしまうと大変なのだろうなあ・・。持ってしまうと失えなくなるのが人間のサガだから。持ち続けないと不安でたまらなくなってしまうのだろう。すごく疲れるだろうなあ・・・。
持てないものの中にこそ、重みがあって圧倒的に豊かなものがあるはずなのは言うまでもないことなのだけど。
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