2003.9.22

ぼくの好きな先生

 
 昨日、テレビで地震の特別番組がやっていたらしい。でも、見なかった。それはなんでかというと、地震がとても恐いから。。。2時間の番組だったからいろんなことを検証して、大地震が起きたときのアドバイスもしてくれたに違いない。自分の見たくないものは見ないなんて、かなり子どもじみているけど、それを見てしまって心配ばかりしてしまうことを考えたら、起きてからどうにかした方がマシっていう考え方はよくないのかなあ。・・・そんなことを考えながら夕べは神妙な気持ちでベッドに入ったけれど、やっぱりあっという間に眠りについていた。
 そんな昨日は強い雨の降る中、ずっと楽しみにしていた映画が封切りされたので観に行った。「ぼくの好きな先生」(仏題:etre et avoir)です。公開2日目の昼間だったので小さな劇場は満席だった。この映画はフランスのある村の小さな学校の3歳から11歳までの生徒13人とその学校のたったひとりの先生であるロペス先生の物語。物語と言ってもこれはドキュメンタリー映画なので、実在する子ども達と先生の話です。いやぁ、ほんとうにいい映画でした。すばらしかったです。子ども達13人がそれぞれに「違う」ということがきちんと捉えられていたし、何よりもとても可愛い。小さい子と大きい子がほぼ半々でひとつの教室の中に二つのかたまりを作って勉強をしているのだけど、小さい子たちの中にも大きい子たちの中にも、自分の子どもの頃を重ねてす〜っと入っていけて、まるで自分もロペス先生の生徒になったような気分になる。55歳のロペス先生はあと1年半で定年退職を迎える大ベテランの先生だ。見た目は少しジャン・レノに似ていて品があり威厳もある。でも、ほんとうに子どものことを好きなことがわかる。だから子ども達もロペス先生が大好きなのだ。小さい子が「ムッシュー」「ムッシュー」と可愛い声で何度も呼ぶところがとても可愛い。中でも、ジョジョ君という3歳の子はとても面白く、とびきり可愛い。同じ年のマリーは何でもできてお姉さんぶっているところが面白い。観ているときは小学校だから6歳からなのかなあと思っていたら、小さい子は幼稚園の子たちのようだ。3〜4歳が字を練習したり、コピーを自分でとろうとしたりするのだから、今の子はすごいなあ。10歳以上の子ども達にロペス先生が話すことは、とても哲学的だ。お説教するときもまず最後まで子どもの話を聞き、そして先生はまっすぐに意見を言う。ボス的な男の子がふたりで争ったときに先生がふたりに話す話には涙が出てきた。自分を表現する事ができない11歳の女の子に対して話すときも涙が出てきた。なんで涙がでてくるのかなあって思ったら、まるで自分に話してくれているような気分になったからだろう。ロペス先生はひとりひとりを認めている。どんな子にもいろんなところがあることを認めている。強いところも弱いところも人間にはあることを教えてくれている。だから強い子たちに叱るとき、弱い子を励ますとき、観ているこちらが両方で涙が出てくるのは、自分にもいろんなところがあるからなのだろう。
 本当にいい映画です!このHPを読んでくださった方にはぜひ観てほしいです。

2003.9.30

威 厳

 鰯雲が広がって、やっと秋の空になった。暑いところから急に寒くなって、「なんとかは風邪を引かない」という典型の私も鼻がグスグスしている。でもこうやって秋晴れになると、ほんとうに気分がいい。外を歩くと、彼岸花やピンクのコスモスや黄花コスモスがとてもキレイ!穏やかな天気がずっと続いてくれれば、それだけで気持ちが弾んでくる。
 ナマケモノの私がこうして一ヶ月の間に続けてふたつも書くなんてホントに珍しい。。思えばHPを立ち上げた数年前というのは勢いがあったなあ。今は書きたいことはたくさんあるけど、いろんな思いがありすぎて溢れすぎて文章にならない・・・と、そういう感じです。
 週末にテレビを観ていてとても不可解に思ったことがあった。それは「原監督辞任」です。私はジャイアンツファンではないのだけど、と言ってどこのファン?と聞かれると、西武ライオンズ→ヤクルト→阪神というふうにどんどん変わっている。そんなわけで、そもそも野球の熱狂的ファンというのではない。 思い出してみると、渡辺久信(西武)、池山、石井(ヤクルト)、坪井、矢野(阪神)・・・こんな感じでその時代や年代で好きな選手がどんどん変わっているだけの話です。しかもそれは「なんだか格好いい」というだけで、ただのミーハーなんです。それでも、なぜか「ジャイアンツ」には興味を持てなかった。なにしろ「巨人軍」という名前だけで気持ちが引いてしまう。「軍」っていうのがちょっと恐くて、とてもスペシャルな響きで、私なんかが応援する必要もないだろうと思わせるくらい母性本能(?)をくすぐられることがないからなのだ。
 「栄光の巨人軍」とか「我が巨人軍」とか言われると、後ずさりしたい気持ちになってしまう。こう思うのは、私が女だからだろうか?男性からすれば、「軍」という響きはステキなものなのかなあ。
 原監督辞任に話は戻ります。原さんというのは嘘がなさそうで堅い人柄に見える。清廉潔白で不器用な感じがして、そして真面目すぎる感じもする。今回の辞任はいろいろな事が言われているようだが、確かに原さんが「責任をとって辞めます!」と言ったことも事実だと思う。でも、たった二年の監督業で、しかも一年目にして見事に優勝。二年目が不本意な成績とはいえ、責任をとるような年月なのかなあ。本当ならもっともっと何年も続けてほしかった。ジャイアンツファンでもない私がこんなこと書くのも失礼なのだけど、原さんという爽やかな人柄を考えればもっとその座に就いていてほしかった気がする。
就かせてあげてほしかったです。
 でも、辞任という事実よりもとても気になったのが、原さんの会見の言葉だった。「権威と威厳のある伝統ある巨人軍・・・」と何度か言っていた気がする。「威厳」は「上に立つ人が軽々しく笑ったりせず何となく近寄りがたい感じ」。「権威」は「他を追従させるに足るその方面でのずば抜けた知識・判断力・実力」ということだ。
 なんだか、このふたつの単語が「ジャイアンツ」というチームをとても寂しくつまらないものにしている気がしてならない。「巨人軍」と声高に呼ばなければならないのも、このふたつの単語に縛られているからなんじゃないかなあ。松井のように素晴らしい選手もいたし、もちろん今でもたくさん素晴らしい選手がいるジャイアンツ。権威と威厳に縛られず、本当に気持ちのいい風を通してほしいなあと思うのは余計なお世話なんでしょうか。