2004.8.16

新しいこと

 
 こんにちは!おひさしぶりです!!!なんと1年振りです。
 ふつうにナマケモノの私が、ひどいナマケモノになってしまいました。1年間も書きませんでした。・・・というより、書けませんでした。
 でも、今日をもって、改心して(?)書こうと思いました。だってこのまま時間が過ぎたら、ほんとうにこのHPを閉じてしまうかもしれないもん。それはいけない〜と誰に言われたわけでもないのですがまた再開いたします。
 今年に入って、とてもとても大事な人を亡くしました。私の両親はとても元気で健在ですが、亡くした人は私にとってはもうひとりの親みたいでした。親・・・というのは当てはまらないかなあ、「大好きな親戚のおじさん」というのが一番ピッタリきます。親戚のおじさんというと少し遠い感じがするけれど、もっと心の近い存在です。私にとっては、その「おじさん」の家族(奥さん、息子さん、娘さん)もやっぱり親戚みたいに極近い存在です。そういう存在だから、家族といっしょに最期を看取りました。入院して半年だったけどその前から悪くなっていたので、ず〜〜〜〜っとおじさんの病気を気にしていたので、とてもとても長い日々でした。最期のとき、「もう何時間もつかわからない」とドクターに言われましたが、おじさんは持ち前の頑張りで、14時間もがんばりました。私たちもずっとベッドサイドについていました。最期まで目をしっかりと開けて、信じられない「頑張り屋」でした。息をひきとった瞬間、みんなでたくさん「ありがとう!」と声にならない声で言ったけど、おじさんには届いたかなあ。テレビで見たことがあるけど、人間は息をひきとって2時間は周りのことが聞こえているって。ほんとかどうか定かでないけれど、そう思ったからおじさんの耳元で私たちはたくさんのお礼を言いました。
 ・・・あれから7ヶ月。休まず普通に仕事をしています。最初の数ヶ月は1週間に1度くらい突然すごく悲しくなってきて(外ではそんなことはなく、家にいるときです)、うわ〜〜〜〜んと泣いてしまうことがありました。あまりに大きな声で泣きすぎて、喉が痛くなったりしました。でも、不思議と泣いた後は「おじさん、ゴメンね!元気だからさぁ、安心してヨ・・・ハハ」な〜んて独り言をケロッと言っていたりしました。こんなに悲しいのはなんでだろう・・・、共通におじさんと親しかった人たちと話しているとみんなが同じ思いでいることがわかります。「とても大切にしてもらえたから・・・」。自分という存在を丸ごと受け止めてもらえ、一方通行ではなく思い合えたから、だから深く悲しいのだということを。おじさんは決して長くない人生の中で、自分以上に「人」のことを思って、人の何倍もやり続けてきたことがありました。すごい人でした。
 話したくても話せない、呼んでもどこにもいない、おじさんの形がなくなったことはほんとうに悲しいけれど、自分が生きていてそういう人に出会えたというだけでとても幸せだと実感します。おじさんに育ててもらったなにかは永遠に心の中に生きている。それはずっとずっとです。そしてこの悲しいことの中で、もらえたことがいっぱいある。前よりももっと、人にも自然にも物にも「ありがとう!!」という気持ちが大きくなってきた。だから私はこれからも笑って楽しいことをいっぱい考えていこうと思う。
そして、新しいことをしようと思う。

2004.8.25

夏の思い出

 
 昨日は毎夏恒例の「納涼会」でした。バーベキュー、縁日、スイカ割り。子どもたちと関わる仕事をしているから、こういう年中行事を大人になってもやり続けられることがほんとうにうれしい。
 こんなに暑かった夏でもこの季節が好きな私は、子どもの頃の夏休みの楽しかった思い出がからだに染みついているから、昔の思い出そのままを大人になっても企画でき、楽しめることはほんとに役得です。
 昨日の納涼会は女流画家さんたちもたくさん集まってくれて、雑草がいっぱいのちょっと枯れた中庭がとても華やかになった。仕事の関係で、画家さんや音楽家の人たち、ものづくりの人たちと知り合いになることが多い。私も音楽をやっているから同じような「におい」を感じてすぐに心からうち解けられる。つくることを楽しんでいる人たちは、やらねばならないとか、これをやった結果とかよりも、「今、これをやっている時間」を大切にしているから、波長がとても合う。したくないけどやっている、お金のためにっていう観念がほとんどない。お金はあるに越したことはないけど、大きなお金がほしくてたいせつな時間をなくしてしまうほうがよっぽどつらいし、かなしい。心地いい時間がいっぱ〜いあってお金もいっぱ〜いあったらそれはとっても夢みたいだけど、どっちもあるなんていうことはあまりないことだから、私はどうしても時間のほうがたいせつになってしまう。
 話は変わって、ついこの間、千葉の銚子近くに電車で行った。台風の影響でさらにひどく暑い日だった。行きはわけがあってとても急いでいたので東京駅から特急電車に乗った。佐倉のあたりまでは住宅地で、そこから少し行くと熱を吸収して褐色に輝く畑があちらこちらに見えて、さらに行くといきなり一面の田んぼになった。黄緑に光る稲がユラユラ見渡す限り広がって、それはそれは美しくて感激してしまった。田んぼの中にぽーんとはまってみたいような、ダイビングしてみたいようなそんな脳天気な気分になった。電車の窓は完全にしまっているのに、田んぼの匂いがするような気がしてふわっと心地よくなってきた。その一面の中にすっくと立つ白鷺が見えた。黄緑の中の白い鳥。ほんとうにきれいで感動してしまって、うんと小さくなって見えなくなるところまで見ていた。
 景色があまりにすてきだったので、帰りは普通電車で帰ることにした。どう考えても東京に着くまでに3時間くらいかかるけど、行きに見た風景をゆっくりゆったり、もう一度見てみたかった。電車は古い車両で、行きの特急電車と較べて音もガタゴトガタゴトとうるさい。一車両にあまり人が乗っていないので、景色に合わせてあちこちの席に移ってみた。黄金色に日焼けした地元の高校生が乗ってきた。部活帰りかなあ。お年寄りの乗り降りも都心と較べてゆっくりしている。のどかだ〜〜。イスの上で胡座をかいて電車の揺れに合わせてからだを為すがままにしてみた。なんて気持ちいいんだろ。
 行っても行っても田園風景が目の前に広がっている。田んぼの中に座っているようなつもりで、からだいっぱい、思い切り深呼吸をしてみた。すこし秋のにおいがした。