新しいこと
こんにちは!おひさしぶりです!!!なんと1年振りです。
ふつうにナマケモノの私が、ひどいナマケモノになってしまいました。1年間も書きませんでした。・・・というより、書けませんでした。
でも、今日をもって、改心して(?)書こうと思いました。だってこのまま時間が過ぎたら、ほんとうにこのHPを閉じてしまうかもしれないもん。それはいけない〜と誰に言われたわけでもないのですがまた再開いたします。
今年に入って、とてもとても大事な人を亡くしました。私の両親はとても元気で健在ですが、亡くした人は私にとってはもうひとりの親みたいでした。親・・・というのは当てはまらないかなあ、「大好きな親戚のおじさん」というのが一番ピッタリきます。親戚のおじさんというと少し遠い感じがするけれど、もっと心の近い存在です。私にとっては、その「おじさん」の家族(奥さん、息子さん、娘さん)もやっぱり親戚みたいに極近い存在です。そういう存在だから、家族といっしょに最期を看取りました。入院して半年だったけどその前から悪くなっていたので、ず〜〜〜〜っとおじさんの病気を気にしていたので、とてもとても長い日々でした。最期のとき、「もう何時間もつかわからない」とドクターに言われましたが、おじさんは持ち前の頑張りで、14時間もがんばりました。私たちもずっとベッドサイドについていました。最期まで目をしっかりと開けて、信じられない「頑張り屋」でした。息をひきとった瞬間、みんなでたくさん「ありがとう!」と声にならない声で言ったけど、おじさんには届いたかなあ。テレビで見たことがあるけど、人間は息をひきとって2時間は周りのことが聞こえているって。ほんとかどうか定かでないけれど、そう思ったからおじさんの耳元で私たちはたくさんのお礼を言いました。
・・・あれから7ヶ月。休まず普通に仕事をしています。最初の数ヶ月は1週間に1度くらい突然すごく悲しくなってきて(外ではそんなことはなく、家にいるときです)、うわ〜〜〜〜んと泣いてしまうことがありました。あまりに大きな声で泣きすぎて、喉が痛くなったりしました。でも、不思議と泣いた後は「おじさん、ゴメンね!元気だからさぁ、安心してヨ・・・ハハ」な〜んて独り言をケロッと言っていたりしました。こんなに悲しいのはなんでだろう・・・、共通におじさんと親しかった人たちと話しているとみんなが同じ思いでいることがわかります。「とても大切にしてもらえたから・・・」。自分という存在を丸ごと受け止めてもらえ、一方通行ではなく思い合えたから、だから深く悲しいのだということを。おじさんは決して長くない人生の中で、自分以上に「人」のことを思って、人の何倍もやり続けてきたことがありました。すごい人でした。
話したくても話せない、呼んでもどこにもいない、おじさんの形がなくなったことはほんとうに悲しいけれど、自分が生きていてそういう人に出会えたというだけでとても幸せだと実感します。おじさんに育ててもらったなにかは永遠に心の中に生きている。それはずっとずっとです。そしてこの悲しいことの中で、もらえたことがいっぱいある。前よりももっと、人にも自然にも物にも「ありがとう!!」という気持ちが大きくなってきた。だから私はこれからも笑って楽しいことをいっぱい考えていこうと思う。
そして、新しいことをしようと思う。
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