布と紙
昨日、仕事関係の人と青山でランチした。青山通り沿いのステキなレストランでもランチタイムは1000円くらいのメニューが多くてうれしい。久々に会った方とお喋りが弾んでいたら、すごくおしゃれな業界人風の3人組が入ってきて、すーっと目の前のテーブルに着いた。山本寛斉サンだった。寛斉サンは黒のジャケットを脱ぐと、やはり黒地に赤やピンクのバラ模様のシャツを着ていて、誰が見ても、どこから見ても「kansai」だった。いくらなんでも凝視はできないから、チラ見していたのだけど、模様以上に生地の質感が美しくて(あのシャツに触ってみたーい)と思った。
という具合に、わたしは「布」と「紙」にとっても弱い。
弱いというのは嫌いなのではなく、「布」と「紙」が大好きなので、ほしくなってまいってしまうという弱さだ。
だから家の中でわたしが大切にしているものは、ほとんどが「布」と「紙」。
布は、洋服、首に巻く物、布製バッグ、ハンカチ・タオル・・。あと、フェルト手芸が好きなので、いろんな色のフェルトの山。捨てられない端切れ。奥のほうから「布物」がたくさん出てくる。これはほんとうに片づかなくてどうしようもない。
紙はというと、本、ノート、絵はがき類、レターセット、メモ用紙、カテゴリーは違うかもしれないけれど、写真も山のようにある。
貴金属には興味がないので、高価な物というのをわたしは持っていない。大切にしている物が、わたしの部屋ではたぶん「紙」や「布」類だから、火事になってしまったらあっという間に形がなくなって何にもなくなる。コレクションしている物は「エッフェル塔の描かれている(あるいは写真の)絵はがき」なので、そのファイルがなくなったらショックでたまらないけれど、一時落ち込んでも「また集めればいいや!」って思えそうだから、それにも執着心はないのかもしれない。
それでも、大切な人からいただいた手紙や写真、いろんなことを書き留めていたノート、そういった、見ているとホッとする思い出グッズには執着がある。
子どもの頃の思い出の紙類は、デザイン画を描いていたノート。小学校高学年のとき、洋服のデザイン画を描くのが大好きで、大学ノート何冊にも描いていた。アイディア(?)が浮かぶと一日に何頁も描いていた。それと同時期に、笑っちゃうような恋愛マンガも描いていた。まさに当時の「りぼん」とか「なかよし」という少女マンガの影響なんだけど、何かを描いている(書いている)ときがわたしの至福のときだった。マンガと同じように、わけのわからない物語を書いてもいた。
もう今は、あのときほどの発想や執念はないけど、それでも「書くこと」は未だに大好きだ。e-mailも携帯メールも使っているのに、手紙をよく書く。レターセットを選ぶのも楽しいし、お菓子のステキな包装紙や、ELLEとか洋雑誌のグラビアを封筒にするのも楽しい。そしてまた、その封筒に合わせて切手をレイアウトするのがさらに楽しい。水色の封筒に5円切手(白鳥)をぐる〜って囲んで貼って送ったり、切手を物語風に貼ったり、切手の脇に挿し絵を描いたり・・と、かなり「暇人」な作業をする。そういうことをしている間はワクワクして、うれしくて楽しくて止まらない。同じような手紙好きな友達とは一言で終わるようなどうでもよいことを手紙でやりとりしたり、おまけグッズなんていうのをお互いに入れ合ったりする。たとえば、小さいパッケージに入った温泉の元とか紙の石けんとか。そんなことをしていると、驚くほど速く時間が経ってしまう。
布や紙がなかったら、わたしの部屋はきっと整然としているに違いない。
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