2004.11.2

 布と紙

 昨日、仕事関係の人と青山でランチした。青山通り沿いのステキなレストランでもランチタイムは1000円くらいのメニューが多くてうれしい。久々に会った方とお喋りが弾んでいたら、すごくおしゃれな業界人風の3人組が入ってきて、すーっと目の前のテーブルに着いた。山本寛斉サンだった。寛斉サンは黒のジャケットを脱ぐと、やはり黒地に赤やピンクのバラ模様のシャツを着ていて、誰が見ても、どこから見ても「kansai」だった。いくらなんでも凝視はできないから、チラ見していたのだけど、模様以上に生地の質感が美しくて(あのシャツに触ってみたーい)と思った。
 という具合に、わたしは「布」と「紙」にとっても弱い。
 弱いというのは嫌いなのではなく、「布」と「紙」が大好きなので、ほしくなってまいってしまうという弱さだ。
 だから家の中でわたしが大切にしているものは、ほとんどが「布」と「紙」。
 布は、洋服、首に巻く物、布製バッグ、ハンカチ・タオル・・。あと、フェルト手芸が好きなので、いろんな色のフェルトの山。捨てられない端切れ。奥のほうから「布物」がたくさん出てくる。これはほんとうに片づかなくてどうしようもない。
 紙はというと、本、ノート、絵はがき類、レターセット、メモ用紙、カテゴリーは違うかもしれないけれど、写真も山のようにある。
 貴金属には興味がないので、高価な物というのをわたしは持っていない。大切にしている物が、わたしの部屋ではたぶん「紙」や「布」類だから、火事になってしまったらあっという間に形がなくなって何にもなくなる。コレクションしている物は「エッフェル塔の描かれている(あるいは写真の)絵はがき」なので、そのファイルがなくなったらショックでたまらないけれど、一時落ち込んでも「また集めればいいや!」って思えそうだから、それにも執着心はないのかもしれない。
 それでも、大切な人からいただいた手紙や写真、いろんなことを書き留めていたノート、そういった、見ているとホッとする思い出グッズには執着がある。
 子どもの頃の思い出の紙類は、デザイン画を描いていたノート。小学校高学年のとき、洋服のデザイン画を描くのが大好きで、大学ノート何冊にも描いていた。アイディア(?)が浮かぶと一日に何頁も描いていた。それと同時期に、笑っちゃうような恋愛マンガも描いていた。まさに当時の「りぼん」とか「なかよし」という少女マンガの影響なんだけど、何かを描いている(書いている)ときがわたしの至福のときだった。マンガと同じように、わけのわからない物語を書いてもいた。
 もう今は、あのときほどの発想や執念はないけど、それでも「書くこと」は未だに大好きだ。e-mailも携帯メールも使っているのに、手紙をよく書く。レターセットを選ぶのも楽しいし、お菓子のステキな包装紙や、ELLEとか洋雑誌のグラビアを封筒にするのも楽しい。そしてまた、その封筒に合わせて切手をレイアウトするのがさらに楽しい。水色の封筒に5円切手(白鳥)をぐる〜って囲んで貼って送ったり、切手を物語風に貼ったり、切手の脇に挿し絵を描いたり・・と、かなり「暇人」な作業をする。そういうことをしている間はワクワクして、うれしくて楽しくて止まらない。同じような手紙好きな友達とは一言で終わるようなどうでもよいことを手紙でやりとりしたり、おまけグッズなんていうのをお互いに入れ合ったりする。たとえば、小さいパッケージに入った温泉の元とか紙の石けんとか。そんなことをしていると、驚くほど速く時間が経ってしまう。
 布や紙がなかったら、わたしの部屋はきっと整然としているに違いない。

2004.11.4

 FETE DU VIN

 ワインのお祭りがあった。
 フランスのブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、ロワール、コルシカなどなど、各地のワインと食べ物を味わえる美味しくて楽しくゴキゲンなお祭り。しかもワインは、どれでも一杯250円で味わえる。安くて美味しいっていうのは、言うことない。
 昨日は11月と思えないほどあたたかく、風もなく、夕方〜夜も気持ちのいい気候だったので、毎日のせわしなさを忘れ飲み、食べ、おしゃべりして過ごした。
 中でも、盲目のピアニスト「モンセフ・ジュヌー」のピアノトリオの演奏はすばらしかった。1961年にチュニジアで生まれた彼は生まれつき盲目で2歳の時スイスに目の治療のために移り、スイス人家庭の養子になった。養父の勧めで6歳からピアノを始め、稀な聴力に恵まれていたので楽譜を使わずに耳から曲を覚え再現し、曲を弾いていた。プロになって20年、スイスのジャズ界の代表である彼の音は魂がこもっていて、ピアノを弾くために生まれてきた人だ!と感動してしまった。穏やかそうに見えるモンセフさんだったけど、きっと無邪気で子どもみたいなエキセントリックなところがある人なんじゃないのかなあと演奏を聴いていて思った。セロニアス・モンクみたいな感じがした。
 そのコンサートはしっとりしたムードに浸れていたが、始まる前の友達とわたしは、変なテンションだった。そんなにお酒に強くないからワイン2杯くらいですっかりいい気分になってしまう。友達の彼氏は一滴も飲めないので、わたし達が何を見ても笑いが止まらない状態になっているところを写真撮影していた。笑い転げている途中、鳥越俊太郎さんがすぐ目の前にいるのを発見した。目立たないようにされているつもりなのだろうけど、ミラーサングラスが光って、非常に目立っていた。1日の寛斉さんといい、ここ数日のわたしはナイスミドルに遭遇する運があるのかな?鳥越さんには夜の庭が似合っていた。フランスの文化人ピエールなんとかさんとお喋りされている鳥越さんの独特のなまりが聞こえてきたけど、それでもやっぱり大人の色香が漂っていた。女性に人気があるのがよーくわかった。
 身近なナイスミドル、ステファン先生もやっぱり上機嫌。授業中は真面目で優しげで少し恥ずかしがり屋の先生も、お酒が入ると気が大きくなるみたい。満面の笑みで話しかけてきた。そしてすごく驚いたのが、たどたどしい日本語で話そうとしていること。あたりまえだけど、授業中はすべてフランス語なので、先生の日本語の実力は全くわからなかった。だから、わたしのフランス語と同じくらいのレベルの先生の日本語がとても愛らしかった。オフでは、先生も日本語を話そうとガンバっているのだなあーとなんだかほのぼのとした気分になった。