想像力(2)
突然だけど、「好きなタイプの男性」と聞かれると、ものすご〜く大昔は「男らしくて大らかな人」なんて答えていた。そしてそれにつけ加えるなら、「スポーツもできて、格好がよくて、それにやっぱり頭がいい人」なんて、あまりにコンサバな答えを出していた。そんな自分がちょっと懐かしく、かなり恥ずかしい。
今の私は・・・というと、「どんなにくだらないことでも、とことん話しあえる人」というのが一番の答えだ。男でも女でも、自分がずっとつき合いたい人は「どこかしら尊敬できるものがある人」だ。それはなんでもいい。どんなところでもいいからやっぱり相手を尊敬して初めて「永くつき合いたい、この人をずっと大切にしたい」って思えるのだ。それは自分より年上でも、年下でも・・・である。
男性・女性・年上・年下・・・そういうことをあんまり細かく気にしなくなってから、特に、「どんなにくだらないことでもとことん話しあえる人」っていうのが自分にとっての大きなポイントになった。
そしてその話しあえるっていうことの中に、すごくキラッと輝く要素があるのだった。それは「想像力がある」ということだ。
たとえば、自分のまったく知らないことを話されたとする。それで「ふ〜ん」とか「そうなんだ・・・」とか、たった一言それだけ言ってしまったら、話は終わりになる。もちろん、無理矢理話を合わせる必要もないし知ったかぶりはもっと格好悪いから、そういうのも時にはいい。みんなそれぞれの生活があるからすごく疲れていて話すのもかったるい時はあるから一言で終わっちゃうときもあるだろう。けれどもすごく大切に思っている人に自分の気持ちや興味を滔々と語ったあとに、たった一言「あ、そうなんだ・・・」ってつまらなさそうにそれだけしかコメントをもらえなかったら、それはもうやるせないの一言に尽きる。ちょっとあまのじゃくだけど、なんでも気持ちよくうなずかれたりするのもそんなに楽しくないけど、でも一言で終わってしまうよりはまだ気持ち悪くない。まあ、「そうなんだ」にもいろいろな「そうなんだ」があるけれど。話をした人が余りに大変な事情のときは、そんなふうにしか答えられないこともある。やるせない気持ちになるのは「ふ〜ん」に相当する「そうなんだ・・・」の場合である。
でも「そうなんだ・・・」という人が、決して人の悪い人なわけではない。とても優しい人で、ホントにそれしかコメントができない人もいる。しかし敢えて私がここで思うのは、意地悪でもなんでもいいから、「そうなんだ・・・」で終わるコメントはイヤだなっていうことだ。誤解される言い方かもしれないけれど、私の好きな人達は、みんな博愛主義者ではない。だから誰にでも優しいとかそういう感じの人は皆無である。意地悪じゃないけど、他人から見たら意地悪に見えるところもちょっとは持っている人たちが私の好きな人たちだ。その人たちは想像力があるもんだから、いろんなことを勝手に想像して勝手にコメントしたりする。「消しゴム」と言えば、「ハサミ」が返ってきたり、「セロテープ」をくれたりする(??)。とにかくパラドックスが好きで、話がいつまでもいつまでも尽きない。そしてまたそれが膨らむ!膨らむ!!それで百倍ぐらい話が面白くなったりする。それで地雷を踏まれることがあっても、それもまたよしとする。それくらい「想像力」は私の大好物なのである。
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