2000.1.25

衝撃的な・・・

 年が明けました。そして1月も終わりになってしまいました。遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 12月になんにも日記を書けなかったのは、師走の忙しさもあったけれど、そういう理由だけではありません。あまりに衝撃的な出来事があり、全く書くことができなかったのです。
 「京都の旅」の続編はきっとこれがそうなのだと思う。
 10月の終わりの京都の旅から1ヶ月経った12月1日、京都に出かけ職場の季刊誌のインタビュー取材をした。京都大学理学部助教授の山極寿一先生を取材させていただいたのである。山極先生はゴリラの研究を20年続けている。記事については、インタビューページをぜひ読んでください。
 読んでいただければ、山極先生の研究のことやゴリラについては私の文章の拙さでも少しは伝わると思う。山極先生の学者としての素晴らしさも伝わると思う。しかしオフィシャルなあの記事には決して書けなかったことがある。それは山極先生があまりにステキだったことだ。それはもう、「ええっ!!こんな男の人が世の中にいたのぉ?」っていう感じに目がハートマークになった。そんなことはちょっとあの記事の中には書くわけにはいくまい。きっとひんしゅく者になってしまう。いや、もしかしたらここに書いていること自体ひんしゅく者かもしれないけど、でもやっぱり書かずにいられない。・・・というくらい理想の具現のヒトだったのである。
 ついこの間まで、私の「理想の男性」は科学者の寺田寅彦だった。ご存知でない方もいると思うけれど、夏目漱石の弟子だった人で随筆家でもあった人である。漱石の「我が輩は猫である」に登場する「寒月君」という一風変わり者の学生は、寅彦をモデルにしたらしい。初めて寅彦の随筆集を読んだとき、私の全身に電気が走った。「こ、こ、こんな人がいたなんて・・・」と驚いたと同時に、人間像を愛おしく思った。でも、寅彦はもうとっくのとうに亡くなっている。亡くなっている人にそんな風に思いを寄せる自分がとても不憫であった(???)。
 なぜにそんなに寅彦をステキと思ったかというと、「本当に頭の良い人はこういう人」=頭が良いというのは勉強ができるという意味じゃなくって、頭と心は直結しているとしたらこの人の頭はすごい〜!と思ったのだ。しかし体はかなり脆弱モノである。体が脆弱だから頭(心)が育っているのか、心が敏感だから体がちょっとポンコツ・・・脆弱なのか。彼自身がとてもオリジナリティに溢れている人格なのである。さすが漱石の弟子だけあって、ユーモアもある。座布団の上に座っているようなユーモアで、なんとなく品がある。そして、淡々とした文章の中にいっぱいの心が詰まっていて、私は何度も寅彦の随筆を読んで、いまだに胸を詰まらせている。ああ、切ない。
 しかし、今回は実在するヒトである。あ〜〜、まいった!しかしまいった・・・と書きながら、そういうステキな方が日本に現在いることがやっぱりとっても嬉しかった。
山極先生、こんな失礼なことを書きまして大変申し訳ありません。決して怪しい者ではありませんので、どうぞお許しを!!

2000.1.27

タイプ 

 この間は「憧れのヒト」について書いてみたが、今日はもう少し現実的なことを書いてみよう。きっと誰にでも「惹かれてしまう異性のタイプ」っていうのがあるのではないだろうか?なんだか知らないけれど、いつの間にか心の中を巣食っているタイプ。自分の心の中の歴代のそれらのヒトたちには何か共通項があるような気がしてならない。
 こうして思い出してみると、私は「強引でないヒト」に惹かれている。それは子どもの頃からそうだった。相手との微妙な距離をちゃんと読んで動くヒトが好きだった。どうも強引に迫ってくるようなタイプには全く興味を持てなかったのである。考えようによっては、素直じゃないようなイケズのような、よ〜く考えると策士とも言えるかもしれない。こちらから見て、何を考えているのか皆目検討がつかないような摩訶不思議なヒトに興味を持ってしまう。間違っても「俺はお前を幸せにしてみせる!俺についてこ〜い!」なんていうタイプではないのである。どっちかっていうと、「ちょっと一緒に歩いてみよっか」という一見軟弱な誘いのほうが心地良い。
 それからこの世のあらゆる人間や事物に「優しい」というヒトにもあまり興味を持てない。「自分は冷たい人間だ、だから人には思いやりを持ちたい」という姿勢のヒトが好きだ。あらゆる事物に優しいヒトは仙人のようだし、一般的に見て素晴らしいパーソナリティだと思う。けれど個人としてそのヒトに接したときに、私には「お邪魔いたしました」っていう感覚になってしまうようなそんなよそよそしい気がしてならない。でも、自分を冷たい人間と感じているヒトは、自分だけがそう思いこんでいる場合も多い。自分は冷たいということがいつも頭にあって必要以上にそう考えている場合もある。そういうヒトこそ、いざ!というときに、せめて持てる思いやりを持とうと努力するようなそんな気がしてならない。自分のことを優しいと思っているヒトほど、始末が悪いってあるでしょ。それは男性でも女性でもそうだけど、自分を天使のように思っているヒトほど、「超」悪魔の住んでいる確率がかなり高いような気がしてしまう。天使が住んでいると思っているヒトは、自分の優しくなさを反省することもないはず。いつも他人から「あなたは優しいヒトね」と言われる。そうすると、ホントにホントのヒトの気持ちはもちろんのこと、自分の心の中にさえ気づかなかったりする。つまりかなりの鈍感とも言えるだろう。で、鈍感だから「俺についてこ〜〜い!」なんて言えるのだろう(??)。
 な〜んだ。そう考えると、私の好きなタイプは「鈍感ではないヒト」なのだネ。