2000.5.1

運命力 

 先週の金曜日発売のananは「運命力」という特集で、タイトルを見た瞬間に手にとってレジに向かってしまった。
 運命っていう力学はあるのだろうか?運命っていうと、なんだか自分の力ではどうしようもないような、天から誰かに(神なのか、違うのか?)操作されているような、とっても受動的なものにも思えていた。少なくとも、こどもの頃の「運命」というイメージはそうだった。「運命」っていう言葉を発すること自体が、ちょっと恐いような気がしていた。ベートーヴェンの「運命」は好きだったけれど、タイトルや最初の出だしからして、逃げられないような気持ちにさせられて、私の心を少し縮ませてくれた音楽でもあった。
 けれども大人になってからの「運命」という言葉に対しての受け止め方は変わった。それはananの「運命力」っていう言葉にも表れているとおり、運命には力学があるっていうことがわかったからだった。受け止めるだけのものではないことが実感としてわかってきた。むしろ能動的に動かすという気持ちや毎日のその人の生き方が、運命をいくらかは操作するような気がしてならない。動かすには動かすだけの努力っていうのが必要なのだろう。それを虎視眈々とやるのではなくて、さり気ない努力というのが運命っていうのは好きそうな気がする。
 私はめちゃくちゃ心配性なくせに、それと同じくらいの(それ以上かも)めちゃくちゃくおめでたい性格のおかげで、自分では運がいいような気がしている。(なんの信憑性もないのに、こういうところがやっぱりおめでたい)
 まず起こりもしないようなことを事前から想像して心配したりすることがある。そうすると、たとえばそういうことが実際に起きたら(ああ、やっぱり思った通りだった)って。だからなのか、なんなのか、起きてしまったらはあまりパニックにならない。それで今度はそのことが一段落すると、(ああ、一段落してよかった。もしかしたらこれは後々の自分の人生にとって良いことなのかもしれないぞ)って思うのである。ちょっとこの言葉は適切じゃないけど、でもこんな風に考えている自分が無理してなくて存在する。な〜んておめでたいんだろう・・・とつくづく自分の性格を(アホじゃん)って思うときもある。
 転んでもただでは起きないっていうことだろうか?起きてしまったことを、結局は自分の栄養源にしてしまっているような気がしている。
 でもそんなんじゃダメなのよね。やっぱり努力っていうのをしなければ!!って、ananを見ながら思った私でした。

2000.5.22

時代屋の女房 

 「時代屋の女房」という邦画をご存じでしょうか?
 故夏目雅子さんが出ている映画で、夏目さん演じる主人公は何とも言えない魅力的な女性なのですが。夏目雅子さんはもう10年以上前に亡くなってしまったけれど、美しさと知的さと可愛さを全て独り占めしているような本当に素敵な女優さんだったと思います。もちろん、女優さん以外の彼女のことは知らないけれど、でも絶対に「面と向かってもきっと素敵な人だったんだろうなあ」と思わせる強い力を感じてしまう。私の中では、夏目さんに匹敵するような日本の女優さんが今のところ現れていません。
 前置きが長くなったけれど、今日は夏目雅子さんのことを書きたかったのではなくて、家の近所で「時代屋の女房」みたいな古道具屋さんを見つけたのでそのことを書きたかったのです!
 見つけたと言っても私が見つけたのではなくて、私の女友達が見つけて教えてもらったのだけど。
 早速行ってみたら、ほんとにすご〜〜〜〜〜い!まるで時代がタイムトリップしてしまったみたいな世界。大正デモクラシーという匂いがして、箪笥も洋燈も(タンス、ランプと書くより、こういう感じ)素晴らしく素敵でした!!
 確かにおばあちゃんちに昔あったような細工の細かい箪笥がとても素敵で私はしばらく店の中で呆然としてしまった。
 飛行機というのがまだ身近な乗り物ではないあのころ、いかにも軍用飛行機という形の飛行機が箪笥の真ん中にくり抜かれていたり。。。もちろんそれは子供用ではありません。れっきとした茶箪笥なのであります。どれも木の模様が美しくて年代を超えて飴色に輝いている姿は感動ものだった!どういう人がどんな風に使っていたのかなって思うと、ワクワクしてしまった。
 友達はペンダント式の洋燈を買ってリビングに取り付けていたけれど、それはそれは気持ちが和んだのです。さらに落ち着く部屋になったような気がする。マットな白いガラスが光の具合で青に緑に鈍く静かな光を放っていて、この洋燈はどういう家のどういう場所で照らしていたのかなって思うと、本当にドキドキした。
 古道具には新しい物にはない作り手や使い手の想いがあって、私は大好きです!