京都の夜はふけて
まるで演歌のようなタイトルだけど、先週末に京都に行った。それは1月のところに書いたあこがれの山極寿一先生のシンポジウムに参加するためである。
法然院という情緒あふれるお寺の本坊で行われたそのシンポジウムは5時間ほどの休憩ほとんどなしのプログラム。当日は梅雨らしい雨たっぷりの一日で、法然院の庭は雨が似合って、心がしっとりとするような趣のある時間だった。でもとにかく寒くて寒くて。寒さに震えながら真剣に行われたシンポジウムは、お寺の修行のような非日常的な時間になった。
その真面目なシンポジウムの中身を忘れてしまうくらい、悲しい物語がはじまるのである・・・。
山極先生と対面するのはちょうど半年ぶりくらいなので、とても嬉しくてワクワクしていた。私と拓くん(京大農学研究科大学院生)は遠目で山極先生を見ながら、声をかけられずにいた。私たちにとってあこがれの先生は、そうそう安々と「せんせ〜〜!」なんて声をかけられるような存在ではないのである。もちろん、山極先生は気さくな男性だけど、それでも私たちにとっては「あこがれモード200%」くらいのお方なので、遠目で見て、ふたりで「あ、山極先生だね」「うん、ホント、そうだね」と、なぜか冷静を装って確認するくらいしかできなかった。
今回は、拓くんと、小児科の大百科事典「榊原先生」と、小児科の伝説の医者「おじさん」(拓くんのお父さん)と4人で参加した。榊原先生は半年前に山極先生とお会いしてることもあり、そしてどんな場面にもスマートに対応する先生だということもあり、年齢の同じ山極先生とお会いすることに緊張は全くなさそう。ところが、おじさんは言葉には表現しないのだけれど、ソワソワと落ち着きがない。槍が来ようが悪魔が来ようが動揺しない毒気たっぷりのおじさんなのに、なぜか懇親会の始まりに落ち着きが全くない。会いたかった山極先生に会えたことで、おじさんの緊張(?)の度合いがピークだったのだろうか。
たくさんの人が集まって来た最後に、山極先生のシルバーバックのような後ろ姿が見えたのだ。(うわっ、きゃ〜、山極先生だあ)ドキドキしていると、先生が榊原先生と目が合い、こちらにやってきた。私はそこで「山極先生、こんにちは!」と挨拶をすると、先生も「こんにちは!」と感じよく返してくれ、いつの間にか懇親会が始まったのである。
乾杯の後、会場はあちこちで話が盛り上がっている。私たちは、山極先生を囲んで最初は楽しく談笑していた。先生もとてもよく飲み、よく喋り、よく聞いてくれて、それはそれは楽しく時間が過ぎていったけれど、榊原先生が仕事のため、中座してしまった。
そこからが、私たちの悲劇の始まりになるのだった・・・。
おじさんはもうすっかりできあがっていて、山極先生を独り占め。シルバーバックの山極先生と、猿軍団のボス猿のおじさんは、生き方の方法論は違っても、見ているこちら側を「圧倒させるほどの人間性」という点に於いて非常に共通点がある。とてもこの二人のようにはなれない・・・。
でもこの場合は形勢不利というか、おじさんは山極先生のファンなので、ベクトルは一方的な向きなのである。丹頂鶴の求愛ダンスのように羽をバタバタとさせて激しいアプローチをしている。
「先生!二次会に行こう!」と勢いよく、山極先生を拉致しようとしている。危険を感じた先生はみんなを誘い、二次会の会場へと移ることになった。
京大近くのそのBarは、ちょっとArtの匂いがして居心地がいい。そんな空間の雰囲気を楽しむ間も与えてくれないほど、おじさんはさっきの一次会よりさらにエンジンがかかっている。
ゴリラと一緒に生活を共にしたことのある山極先生はさすがに大きな動物を扱うのに慣れているようで、全く動じない。私はそういう姿を見て、ますます山極先生へのファン度がアップしたのだけれど、まさかおじさんが恋のライバルになるとは思わなかった。言われるままに、2ショットの写真を撮ってあげている自分が悲しい。
午前1時を過ぎた頃、酔っぱらい度もかなりなものになってきたので、拓くんといっしょにおじさんを連れ帰ることにした。
私たちが心から山極先生に謝ると、「こういうことには慣れているから大丈夫だよ」とおっしゃった。さ〜っすが!!
「飲んでいないときなら、とても素晴らしい話をする先生なんですけれど・・・」と私がおじさんの弁護をしたら、 「そのほうが恐いよ・・」とポツンと一言、山極先生はおっしゃった。
東京に帰り、日が経つ毎に反省モードを高めているおじさん。
シラフで見ていた私は、思い出すとよけいに悲しくなる。だからおじさん、思い出させないで〜。
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