2000.7.6

「からださん」と「こころさん」 

 このところ、ちょっと体調が悪い。弱くもないけどそんなに頑丈ともいえないのに、自分のキャパシティ以上にこのごろの日常の出来事のWAVEがとても大きいのだと思う。それでからだがそのWAVEに乗れなくて、時々溺れてしまうというわけだ。
 それにしても具合が悪かったので、いちおう調べましょと思って簡単な検査をしてもらった。特にどこも異常はないのだけど、ひとつだけすごいことをみつけたのだった。もともと低血圧なほうで、100以上には行ったことがない私の血圧なのだけれど、それでも今はひどくて深呼吸をして測っても85しかなかった。それでは、ふら〜〜っとしても仕方がないらしい。
 このとろ〜い「からださん」の持ち主のわたしはそういう状況には慣れているのだろうけど、それに反して「こころさん」のほうはやけに過敏になっているから、からださんとこころさんは真っ正面から対立してしまうのだろう。
 この場合、からださんとこころさんは同じ持ち主のものと考えるべきなのだけれど、今の私にはどうしても、からださんとこころさんが自分のものと思えない。からださんはたら〜〜んとしていて怠け者で何にもやりたくない。こころさんはピピピッとアンテナの受信感度が高くて微妙なことにでもすぐに反応する。それで、からださんとこころさんの喧嘩が起きる。
 「あんた、なに怠けてんのぉ〜」
 「そう言われたってさぁ、だるいんだも〜ん」
朝から晩までこういう対決がわたしの中で起きているに違いない。そうするとからださんとこころさんの持ち主である私は、そのお二方の平行線のような意見を聞き入れることができなくてパニックを起こしてしまうっていうわけだ。しかし、そこで持ち主が強気で理路整然としているキャラクターならお二方を制御できる。けれども私は、感じることのほうが先立ってしまい、状況を理性的に判断することができない。だから強気になれなくて、ついついどっちのことも受け入れてしまおうと思う。それが不幸の始まりで、さらにお二方の怒りをかうようになってしまう。
 「ちょっとぉ、持ち主のあんたがさ、いつも優柔不断だから、私たちこんなふうになっちゃうのよぉ〜」
 「そうよ、そうよ、どうしてくれんのよぉ。はっきりしなさいよぉ。まったくさ、役に立たないんだからぁ」
・・・とクレームだらけになる。そうすると持ち主の私は逃げたくなって逃げようとするんだけど、そういう弱腰だから、からださんもこころさんも怒りがいっそうひどくなってもっと状況が悪化するというわけだ。
 そこで第三者の仲裁役が入り、「持ち主」と「からださん」と「こころさん」を落ち着かせてくれるような理性的な意見を言ってくれるとどよ〜んと淀んでいたイヤな雰囲気が消え去り、お互いにまた仲良くできるというわけだ。きっとそういう第三者のことを、良いお医者さんと呼ぶのだろう。
 そんな風に他人事のように考えていたら、だんだん体調もよくなってきたような気がした。

2000.7.17

つくること 

 こどもの頃から、なにかをつくることが好きだった。今のわたしの仕事は「なにかをつくる」ことばかりだから、自分の好きなことを仕事にできていてとても幸せと思う。
 自分のことを不器用だとは思わないけれど、両親も弟もかなり器用なので、そう考えるとうちの家族は手先の器用さだけは標準以上かもしれない。
 父は木に彫刻をしてマガジンラックを作ったり棚を作ったり家の修理もしていたし、母はこどもの頃の私の服や自分の服や家の中の布製品のほとんどを縫っていた。細々した品はほとんど買える時代に育っていたけれど、両親はつくることが好きだったから敢えてそうしていたのだと思う。
 そういう姿を見て育った私は、自然となにかをつくることが遊びになっていた。なにをつくったか・・・。たくさんありすぎて書ききれないけれど、小学校1年の私はリカちゃんの服づくりにはまった。服づくりと言ったってたかがしれていて、一枚の布をとりあえず切って、首が入るような丸い穴をあけ、脇の部分だけ少し縫ってみたり、リボンをつけてみたり・・というようなあまりに簡単な服だった。そんなことをしているうちにデザイン画を描くことに凝りだして、ノート1冊にリカちゃんの洋服のデザインをした。そしてそのデザインを見て服を作る・・なんていうデザイナーもどきのこともした(と言っても、デザイン画のようにつくれるわけもない)。
 小学校3年ころの私は、新聞づくりに精を出した。授業で学級新聞を作ったことに味をしめ、頼まれもしないのに、もうとっくにブームは終わってるのに、見向きもされない新聞づくりをしていた記憶がある。それが高じて、家でも新聞を作っていた。その後、小学校高学年になると、別に女の子っぽくもなかった私なのだけれど、手芸クラブに入った。そこではちょっと高度な夏のおでかけバッグなんていうものをつくった。クリーム色の糸を使ったりして、手作りにしては上出来だった。その後は小さなマスコット人形をつくることにはまって、フェルトでいろんな動物をつくって、押しつけがましく友達にあげたりしていた。
 小さな布とか糸とか紙とか色えんぴつとかペンとか箱とか木とか石とか、そういうものが私の遊び道具で宝物だった。材料としてつかえると思ったらなんでもとっておくので、私の机はゴミためのようだった。消しゴムのかすもビニール袋の中に集めて、(消しゴムを作れるかも・・・)なんて思っていたくらいのいかれたヤツだった。
 中学生になっても、毎日遊んでいた友達もつくることが大好きな人だったので、二人で黙々といろんなものをつくって遊んでいた。
 そういう遊びばかりして大人になって、そしてそれがいまだに続いている。たぶん、このホームページも「つくること」が好きだから書いているのだろう。ホントのこと言うと、誰かに見てもらいたいという気持ちよりも、つくるというプロセスがすきでたまらないから続けられているのかもしれない。