私の前世(?)
お盆も終わって気がつくと、日の暮れるのがとても早くなった。先月は夜の7時でも明るかったのに、もうこのごろは真っ暗。
はぁ〜ん、秋が近いのね・・・と、この日記を書き始めて3年目の夏が終わるのに季節が巡ってまた同じようなことを書いている。
皆さんはこの夏をどのように過ごされたでしょうか。私はいつも夏は展覧会があってなんだかザワザワとした日々を過ごしているのだけど、それでも今年の夏は「海」モードにちょっとだけスイッチが入りました。
その昔、海に凝った時期があった。友達がウインドサーフィンをやっていたので仲間に入れてもらっているうちに、ほんの少しだけ私もできるようになって、それに味をしめ海が好きになった。そのおかげで、今の私には想像もできないけれど、当時の私は「どこの人?」っていうくらい真っ黒だった。
今年の夏は絶対に日焼けをしないように細心の注意を払いながら海を楽しむという感じなので、以前とは全く違う。ちゃぽちゃぽっとこどもの行水のような感じで全然気合いが入っていない。日が当たると(うわっ、まずい)という光線の苦手なドラキュラ状態なのである。
そんないい加減な海好きの私なのだけれど、海になくてはならないものが死ぬほど苦手なのである。これは冗談ではない実話で、人に話すと異様な反応をされる。
いつからこんな風になったのか覚えていないのだけど、私は「テトラポット」が本当に苦手だ。視界に入っただけで居ても立ってもいられない。
海が見えてきて「うわ〜〜〜〜〜っ!!」と喜んだ瞬間、その視界の延長上にテトラポットが見えたらもう大変。本当に苦手だから、固まってしまう。なんだかわからないけれどおかしなくらい言葉が出てこなくなってしまうのだ。
生のテトラポットだけでなく、テレビの映像でもダメなのだ。台風情報を見ていると出現する可能性が大だから、テレビの台風情報は声だけを頼りにしている。
不意打ちで見えてしまった場合は仕方がないけれど、見てしまった後にすごくゾッとしている。
この話を人にして、感覚を共有してくれた人はまだ現れない。こんな感覚を持っていることが自分でも不思議なのだけれど、小さいころに海でなにかがあったことなんて全くないので、子どもの頃に受けた傷なんていうこともありえないのだ。
友達の解釈によると、私の前世は初代の時期(?)の海女で、海で仕事中になにかアクシデントがあってテトラポットの下敷きになったからではないか。。と力説された。う〜〜ん。。確かにそれは有力な説かもしれない。しかしそのころにテトラポットっていうものがあったかどうかは定かではない。
|