2000.11.20

雨の日の忘れ物

 先週末、久々の青空を見た!
 ここしばらく出会えなかったきれいな青空で、四谷界隈の銀杏並木が黄金色にキラキラと輝いていた。やっぱり青空は何よりも嬉しい!!
 うって変わって今朝は雨。雨のしとしと降る中をとぼとぼ歩いていると、別にどうでもいいようなことをいっぱい考えてしまう。規則的に上から下へ落ちてくる雨には、世間と自分を切り離して完全に孤独にしてしまう作用がある。冷たい雨や大雨じゃなければ、雨っていろんなものを流してくれてるようで、潔くて気持ちいいんだけどなぁ。
 こどもの頃の雨の日は泥はねだらけだったような記憶がある。不思議に学校帰りのことで思い出すのは、雨の日や雪の日の記憶ばかり。この間、小学1年のときの文集なんていうものが出てきたのだけど、それを読んだら、雨や雪のときのことばかり私は書いていた。そういえば、雨や雪の日には道草の時間がいつもよりずっと長かった。
 東京の田舎で育った私は遊ぶ環境に恵まれていて、のどかを絵に描いたような毎日だった。両親はのんきだし、近所のおじちゃんやおばちゃんもおっとりした人ばかりで、ありがたいくらい快適だったように思う。
 そんなぽ〜っと育った私なのに、なぜかものすごくある一部分だけ必要以上に神経過敏なところがあった。それは何かというと、私は「忘れ物」をすることが大嫌いだったのである。
 もう今の私には考えられないけれど、たぶん、子どもの頃に「忘れ物をしない」とこだわりすぎて、その全エネルギーを使い果たしたのだろうけれど、本当に今の私はうっかり忘れ物が多い。
 子どもの頃に、なぜにそんなに忘れ物にこだわったのか、自分でも不思議になる。時間割なんか、何度も確認していたような記憶がある。あまりに私が心配性なので、親は「忘れ物をしたってそんなに大変なことはないよ」としょっちゅう言っていた。
 ある雨の日、私は学校に宿題を忘れてきた。それに気づいた私は途中の道を引き返して学校へと走った。何をそんなにドキドキしているのか、ほとんど「ドロボウさん」状態の私は、こっそりと教室に入って机の中から宿題を取って一目散に逃げた(怪しすぎる)。それでまた帰り道、傘をさしてトボトボとあるいていたのだけど、そうするとなんだかランドセルのあたりがさっきより軽いことに気づいた。ある事実が判明するまでたったの数秒だったのだけど、子どもの私にとっては地獄のような時間だった。今度は給食当番のかっぽう着を落としてきたのだ。(他の学校はどうかわからないが、私たちの学校ではその週のお当番さんが洗濯をして翌週に持ってくるというのが役目だった)ものすごく慌てていたからだろう。でもどこに落としたのかわからない。パニックになってしまっているけれど、きっと落としたのは教室に違いないと、またまた私は学校へと走った。教室に戻ったけれどどこにもないゾ!!あ〜〜ん、どうしよう〜〜〜〜〜・・・・。ほとんど泣きべそ状態だった。
 家に帰ってお母さんにどうにかしてもらおう、でもどうにかできるのかなあ・・・そう考えながら、雨の中、涙が止まらない。ふえ〜〜〜〜ん。この世が終わってしまう如く悲しい。
 すると、道ばたに、黒いような白いような物体が落ちている。それは紛れもなく、私の落とした給食当番の袋だったのであった。
 雨の中、どろどろの袋を持ちながら、顔もどろどろで家路を急いだ私。なんて小心者の子ども時代を過ごしたのだろうか。