女友達
自分には「友達」って呼べる人が多いのか少ないのかわからない。「友達」っていうカテゴリーはとても曖昧で、人によっては一度面識がある人について「友達」と呼ぶ人もいる。(そういう人のことって「知り合い」っていうんじゃないの?)って思うけれど、始めて会ったのにものすごい吸引力で惹かれ合う場合もあるから「友達」って言ってもおかしくはないのかもしれない。しかし私は、まだまだ曖昧な関係を友達と呼ぶことはできない。ましてや、それが同姓となると本当にそうなのだ。
男の人については、もしかして恋愛に発展するかもわからないような曖昧模糊とした相手も含め「友達」と一括りで簡単に呼称していることがある。誤解を招くかもしれないが、男性に関してはなにかこう確固たる関係づけができない。なぜだろう?
けれど「女友達」と呼ぶ相手は、私にとってはそれはそれは「スペシャル」な関係なのである。「女友達」っていう響きはちょっとしたもんである。ゴダールの映画ではないけれど、「女は女である」って、もうホントにそうなのだ。
例えば女友達と約束をしていても、突然彼からの約束が入ると、9割型、女友達は約束をキャンセルしてくる。でもそういうとき、なぜかこちらも全くムッとすることは皆無なのだ。それが健康な女性として当たり前のような、キャンセルできるから「女友達」と呼べているような気がするのだ。お互いに気を使い合って、「貴女は私の友達なの・・・」なんて言葉で確認し合って気を使っているうちは本当の女友達ではないのかもしれない。女友達っていうのは、相手がそんなふうに彼とうまくいっているときにも、余裕で相手を見守れてこそ、女友達なのだから。
そういえば子どもの頃、不思議な現象があった。小学校の時、女の子どうしはなぜか一緒にトイレに行くのである。必ず、「ねえ、○○ちゃん、トイレに行こうよ〜」と誘い合うのだ。もちろん私もそうやって誘われて行ったこともあるけれど、いつもいつもそんなふうにしていることが子ども心に不思議になって、お断りしているうちに誘われなくなった。それでも、そんなことになんの不自由も感じなかった実に淡々とした少女だった私は、女の子同士の争いに巻き込まれることもなく快適に過ごせたけど、不思議だったのは、昨日までいつも一緒にトイレに行っていた女の子同士が、急に仲違いして別々の仲間をつくることであった。「昨日の味方は今日の敵」なのである。本当に、そういう意味ではさめている私には、あの現象くらい不思議なものはなかった。「だったら最初からトイレに一緒に行かなければよかったのに・・・」と口には出さないものの、そんなふうに感じていた。
女の子同士っていうのは、あるターゲットを作ってその人についての「共通の記号」を言い合うだけで簡単に仲間になれる(?)のである。それは子どもの女でも大人の女でも変わらないのかもしれない。けれどそういうのって長続きした試しがない。生産性がないから話しても楽しくない。自分の醜さをお互いに見せ合うだけで話した後になんにもスカッとするものが残らない。
類は友を呼ぶから、そういう人はそういう人同士で集まるけれど、私の「女友達」は個人的にも愉快な人が多くてそんな話で時間を費やしていることは幸いにしてないのである。
もう20年来の付き合いの「女友達」は、おおよそ何でも言い合えるし、物事を掘り下げて徹底的に話せるし、自分とは違う業界に住んでいるから一緒にいてとても面白い。
余談だけれど、彼女にはすごい経験がある。彼女が仕事でロンドンに向かう時のことだった。旅慣れた彼女は一人きりの長旅だった。慣れていても飛行機の長旅はかなり憂鬱だったらしい。とにかく乗った瞬間から「え〜い!眠ってしまえ〜」とコンタクトを外し黒いサングラスをかけ、大きなマスクをし、完全武装をした彼女は考えただけで「怪しい女」だったと思う。そしてもうなにがなんだかわからない状態で完璧に熟睡をしていたそうだ。どれくらい経ったのだろう。その気持ちよい眠りから覚めたとき、外人のスチュワーデスさんがメモを持って彼女の前にやってきた。そのメモには「うちの乗務員の□□さんが貴女とお話をしたいと申しております」という内容が英語で書かれていたそうだ。すごい!すごすぎる。あっぱれ!私の女友達・・・・。そ、そんな黒サングラスと大きな白マスクの怪しげな女がナンパされるなんて・・・。
それから彼女はその乗務員とロンドンで食事をする約束をし、2人でロンドンの楽しいひとときを過ごしたのだそうだ。
黒サングラスに白マスクの彼女は、年をとっても愉快な話をお土産にして持ち帰ってくれるに違いない女友達なのである。
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