トイレの蛍光灯〜その1〜
今から1年前の3月の終わり、1通のメールが届いた。
それはかなり遠い昔、中学時代の同級生の男の子からのメールだった。男の子・・・なんて書いては申し訳ないけれど、メールから音声が聞こえてきそうなくらい、彩り鮮やかに彼を思い出した。
「うわ〜、Kくんったら全然変わってないよお〜」それが嬉しくて嬉しくて、なんだか居ても立ってもいられなくて、今でも付き合いのある中学時代の友達に、早速電話したりした。
そしてKくんに返事をしたら、話が大いに盛り上がってしまって、とにかくその頃の仲間みんなで早いうちに集まろうということになった。
私の通っていた中学は東京都下のいまだに田園風景の広がるところにある公立中学である。
とにかく今でもそうなのだけど、「ここが東京なの?」って首を傾げるくらい、疑いたくなるくらい、地方のちょっとした都市よりもかなり田舎といえようのどかなところに、その中学はあった。
毎日、近道をするために、畑の中の道を歩いては靴に泥が付くのは当たり前。近くの農家では酪農をしているところもあり、中学の近辺は牛小屋のにおいがぷ〜んと漂っていて、のどかさに拍車をかけていた。
文化祭の練習の後、ちょっと暗くなった帰り道、キャベツ畑の中から男の子たちが「わっ!!」なんておどかしに出てきたりして、こんなに毎日がのんびりと楽しくていいのか?な〜んて、今の状況を振り返ることもないほど、それほどにのどかだった。とにかくその環境や状況に疑問を感じるハングリー精神も起きないくらい安定感のある毎日だったように思う。きっとその当時の都内の中学の中では「大らかさベスト3」に入るくらいの学校だったように思う。いや、もしかしたら1位をもらえたかもしれない。
目立ったいじめもなく、せこさもずるさもなく、誰彼なく遊べる。成績の良し悪しなんて全く関係ない。そういう大らかさって独特のものだったように思う。
最近になって地方出身の人からイヤミのように「東京の人は・・・」って言われる度に、心の中でなぜかいつも中学時代のことを思い出す。今はもうそんなことに反発する気力もなくなったが、そんなときは(ふ〜んだ。余裕があるのよ、東京人は・・)って呪文のように唱えることにした。そうするとなぜか中学時代ののどかさが甦ってくるのだ。
話は戻るが、メールをくれたKくんは、中学2年のときに同じクラスであった。彼は成績優秀で特に理数系にその能力が遺憾なく発揮されていた。しかもそれはそれは明るいキャラクターで、「トイレの蛍光灯」のように、かなりエネルギーを無駄に発散させているところもあった。しかしそのエネルギーの無駄遣いについては、私もすごかった。だからそのことについては意見を書くのはやめることにする。
Kくんと、もうひとりのKくんと、Sさんという女の子と私の4人でなぜか(たぶん偶然)同じ班になったのだった。班なんて懐かしい響き!
それから班ノートなるものを担任から強制的に義務的に書かされたのだが、我が班は、最終的に大学ノート40冊くらいを使ったのであった。それは脅威的だった。班替えをしてもまだそのメンバーによる班ノートは続いていたのだから、しつこい性格の人員で構成された班だったのだろうか。
その班ノートには、とにかくありとあらゆることを書いた。殆どがなんだかクスッと笑ってしまうような内容ばかりだった。落ち込んだ日でも、その班ノートにお茶目な自分を出していると自然に解消されることがあって、悩みの濃度を薄めてくれるようなそんな作用があった。
そしていよいよ久々の再会となった。
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