1999.4.28

土曜のあの子


 今日は、ちょっと気になっている「土曜のあの子」について書こう。
 以前からの仕事の流れで、私は土曜日だけ実家でピアノを教えている。生徒もそんなに多いわけではないけれど、細々ともう随分長いこと続いている。前は「教える」っていうことが好きになれなかったのだけれど、今は結構楽しい。家には小学校低学年から高校生まで来ているけれど、そのこども達と話をすることがホントに面白いのだ。時には、酔ってもいないのに踊っちゃったりすることもある。やっぱり私ってラテン系なのかなあ。
 しかし今から書く「土曜のあの子」は、ピアノに来ているこども達のことではない。土曜日に駅から実家の近くまで乗るバスで一緒になる女の子のことだ。その女の子はたぶん小学校3年くらいの女の子。彼女は隣の駅の養護学校の生徒である。すごく細身で髪の毛が短くて、紺の制服に赤いランドセルを背負っている。口元にすごく特徴があって、食べるときに大変じゃあないのかなあ・・・というくらい極度の受け口なのである。目はすっきりしていてどちらかというと細い目の女の子なのだ。
 彼女は一人のときもあれば、友達と一緒のときもある。でも、決まって、バスの前の運転手さんの後方にあるバーにつかまって立っている。そして走行中の前方を見ているのだけど、ときどきくるっと後ろを振り向いて、目が合った人をじーっと見つめているのである。ある日、私も彼女と目が合って、じーっと見つめられた。私もなぜか目を反らさないでじーっと見つめてしまった。そうしたら彼女が、目を反らすわけじゃなく、ちょっと恥ずかしそうにニコッとした。それでも何だかお互いに目を反らさなかった。私はその時の彼女の表情にすごくドキッとした。その「ニコッ」がとてもキュートだったのだ。うまく言えないのだけど、もしも私が同じ年頃の男の子だったら、彼女にちょっと恋しちゃったかなって思うくらい可愛かった。
 普通の発達をしている女の子は、3才くらいの女の子でもどこか「女」のところがある。悪い意味ではなくて、どうすれば自分の頼み事を人に聞いてもらえるかっていう動物的な感覚っていうのが、大小の差はあっても誰にでもあるような気がする。幼稚園くらいのこどもたちでも恋は成り立つのはそういう理由もあるだろう。
 そして気になる女の子も、もちろんそういうところは持っているのだろう。しかし、私の見たその「ニコッ」は今まで私が他人の微笑みで見たことのない「ニコッ」だったような気がしてならなかった。うまく言えないのだけど、なんだかもっともっと深いものだったような気がするのだ。だから私には難しすぎてどう説明していいのかわからない。まるで彼女のほうが私より遥かに深い人生経験をしているような、そういう感触があった。
 それから毎週、バスで彼女を遠くから見るのが楽しくなった。私はバスの後方に座る。
 ある日は、同じ学校の友達なのだろう女の子と一緒にふたりで乗っていた。不思議なのは彼女たちはぜったいに座らないことだ。どんなに空いていても立っている。しかもいつも同じ場所に。彼女の同級生の女の子はかなり太っている子だった。私の気になる彼女は、その太っている女の子をなぜか自分の前に立たせてその子をバーに掴まらせたのである。私から見れば、細身の彼女のほうがよっぽど掴まらなければ危ないのじゃあないかなって思ったけど。
 土曜のあの子は、私にとって、これからもっともっと知ってみたい女の子だ。