耳を澄まして!
昨日の夜はオーケストラの演奏会があった。演奏された曲目は誰もが知っているとても馴染みやすい曲ばかり。
ワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲、ビゼーの「カルメン」、J.シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲、ウェーバーの「舞踏への勧誘」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」。
題名を見ても「う〜ん。わからない」という人でも、聴いてみたら「知ってる!知ってる!」となるに違いないような楽しめるプログラムだった。
いつものようにワクワクしながら演奏会を楽しんでいた私だったのだが、知り合いはみんなバラバラの座席に座っていたので周りは知らない人ばかりだった。でも私はこういう環境が好きなのだ。なぜかというと、感極まって涙してしまった時などは知り合いが周りにいると演奏会後に顔を合わせるのがちょっとばつが悪い。だから私は、全く見知らぬ人のそばにいるほうが、なんとなく気持ちが落ちつくのである。しかも今回は1階のスペシャルに良い席であった。
しかし、昨日はこんなに絶好の状況だったのにも関わらず、今まで味わったことのないような、いやあな気持ちになってしまった。
私の右隣に座った女の子は、話から察するにどこかの音大の1、2年生らしかった。そしてその子の右には、彼女のおばあさまとお母さまが座っているようだった。それなりに育ちは良い人なのだろう。そういう雰囲気は話ぶりから伝わってきた。(こういうとき、一人だとよくない。聞きたくなくても、耳がダンボになっちゃうから)曲の合間に、彼女は楽団員に先輩などがいるらしく、メンバーの説明などをおばあさまにしていた。そんなことはよくあることなので別に気にもならずにいた。そしてある瞬間まで、私はこの座席にとても満足をしていたのだ。
ところが二部の「展覧会の絵」になった途端、信じられないような出来事が起きたのである。これはもしかしたら私の器量のなさを暴露することになるかもしれないが、でも、書いてしまおう。
彼女は何を思ったのか、演奏の間中、スコアをめくっていた。しかもそのスコアは楽器毎のものではないから、かなりの頻度でめくることになる。全体が記されているスコアであった。
このオーケストラの特徴は「間」がすごいことだ。一瞬の間が、観客でさえ息をついてはいけないような気持ちにさせる。その大切な大切な「間」に、ペラッとスコアをめくるなんて、(この人これでも音楽やってるの??)って不思議になってしまった。ペラッと紙をめくる音にも、音程があるのに・・・。
もし彼女が、「展覧会の絵」に合わせてパフォーマンスをしてみようという意気込みを持ってページをめくってくれるなら、それは音楽として聴いてみようかっていう気になれる。しかし彼女は今、目の前の演奏を聴いているとは思えない。必死に「スコアを目で追っている」だけではないだろうか。もっともっと今のここの音に集中して耳を澄ませばいいのに・・・。
私はそう思っていたら、まったく「展覧会の絵」に集中できなかった。
車の通らない田舎の静寂な場所に身を置くと、鳥たちや川のせせらぎや風や木々の葉っぱの音が気持ちよく聞こえてくる。けれども都会にいても、朝、耳を澄ますと鳥のさえずりが聞こえてきて、それだけで気分がよくなることがたくさんある。人の声だってそうだ。声の大きい人ばかりではない。必死になっても小さい声でしか話せない人もたくさんいる。赤ちゃんや犬や猫だったらなおのこと、耳を傾けてあげなければ、本当に彼らの欲していることはつかめない。耳を傾けてもわからないことだらけだ。
本当の演奏家だったら、耳を傾けて、演奏を「聴こう」と、耳をう〜〜んと澄まさなければいけないのではないのだろうか。そうしてこそ、自分の演奏にもきっとプラスになるのではないだろうか。
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