1998.9.8

「イケミツ・アニエス」さようなら! 〜その2〜
 

 私が以前から考えていたことは、たった一つだけあった。それは、ず〜っと私がお世話になっているハルカさんが「アニエスベー・サンライズ」という会社を辞めてしまう日は、いつかやって来るということだった。
 8月16日にイケミツ・アニエスが閉店すると教えてくれたハルカさんは、それと共に退社してしまうことも教えてくれた。彼女はイケミツ・アニエスを愛してやまない人だったけれど、辞めることを決意した経緯を丁寧に語ってくれた。想像していたことがこんなに早く起こってしまったことに、コメントができなかった。いつか・・・・。そう、数年後には起こるだろうと予感していたことが、こんなに早く現実になってしまう。
 アニエス・ベーがなくなるわけではないのに、こんなに落ち込むのは、イケミツ・アニエスに対する私の依存度が高かったからだろう。
 その後すぐにパリに行き、当然、アニエスにも行った。パリのSHOPはそれなりに人の出入りはあるけれど、ごちゃごちゃしていなくて、ゆっくり見ることができる。しかもスタッフもとってもラフで、大きな作業テーブルにちょこんと腰掛けていたりして「勝手に見ていってね。試着もどうぞ」って感じでこちらも気が楽だ。しかもパリのSHOPでは一つの大きな試着室でみ〜んなで着替えるので、まるで舞台の楽屋のような感じで、パリジェンヌと共に着替えをしたりする。こういう雰囲気は、他の一流ブランドのパリ本店で味わうことは皆無である。そういう店では、すっくと立ったスタッフが「見てもいいわよ。でもね、商品には触らないで」って感じで監視が厳しそうだ。
 そこで私が思ったのは、そういうアニエスのような店の良さは「客が作らなければいけない」ということだった。試着のときもかなり丁寧に商品を扱う、本当に気に入ったら「潔く」購入する、大切にしそうもなければやはり「潔く」購入しない。そういう毅然とした態度でなければ、確かにお店の人からイヤな顔をされてしまうだろう。一流ブランドのスタッフが高飛車に見えるのは、私達日本人の態度にも大いに問題ありだからだろう。
 日本に帰ってきて、私は「アニエスベー・サンライズ」に手紙を書くことにした。イケミツ・アニエスがなくなるのはとても悲しいけれど、それ以上に私の得たものは大きかったのだ。とにかくその気持ちを素直に伝えたかった。ただの客の自分がそんなことをするのはおこがましいかもしれないけれど、感謝の気持ちというのはできるだけ素直に伝えたほうがいいと思った。たった少しのそれだけのことが、アニエスの良さを支えるかもしれないと勝手に思いこんだ。
 8月16日、イケミツ・アニエス閉店の日。もう明日から見ることのできない窓ガラスのロゴマークを、カメラで撮った。
 「イケミツ・アニエスありがとう!」の気持ちはどんなに時間が経っても変わらないし、これからも私はずっとアニエスを着続ける。感謝と誇りを持ちながら・・・・・・。

1998.9.17

洗脳???

 世間では「貴の花・洗脳問題」で騒いでいる。そしてミュージシャンである元X-JAPANのTOSHIも、その様なことで騒がれている。
 今朝、スポーツ新聞を読んでいる人の紙面の見出しに大きく「貴」と書かれてあった。その人の席の2人隣りの人まで紙面を覗きこんでいるくらいだから、世間の関心は異様に高いのだろう。
 大筋はこういうことであった。横綱貴の花は、二子山部屋の親方・おかみさん・同じ部屋の横綱である若の花と全くといっていいくらい接触をしていないそうだ。しかもそれが、2年という月日に渡ってということであった。誰もが知ってのとおり、親方・おかみさん・若の花は、貴の花にとって血の繋がった家族である。口をきかなくなったのは、貴の花にはその家族以上に信じられる、影響を受けている人物がいるからということであった。その人物は、彼の「整体師」だったのである。
 この問題が露見するまで、世間からは最も羨ましがられるような家族であった。親方・おかみさんとも世間では人間的に素晴らしい方々と言われ、お兄ちゃんの若の花も人の良さそうな風貌で、若・貴両者とも「育ちの良さ」を何より誇る力士であった。貴の花については、バッシングはあっても強さゆえ・・・という感があり、今回ほど騒がれなかったように思う。
 角界も世間も注目しているこの家族が、一躍渦中の家族になってしまった。この問題は「貴の花」という一個人の問題というよりそれを取り巻く家族の問題で、順風満帆を感じさせる人も羨む家族に起きた問題だからこそ、世間の人々の関心をかっているような気がしてならない。それだけ「家族」の問題は、どこでもどの時代でも大きいからだ。
 若・貴の存在で大相撲が面白くなったのは事実だ。現に、全く相撲なんて興味のなかった私も、彼らについては少しは興味がある。部屋に入門した日の彼等は「健気」で、その彼等が親の七光でなく登り詰めていくところは見ていて気持ちが良かった。なにか古い世界に新風を吹かせた感じがあった。
 私達から角界を見て、ちょっと近くなったような風通しがよくなったような気がしたけれど、そこにいる力士にとっては、全く古い世界を引きずったままの所なのだろう。その中で強くなり、強くなったらその地位を守らなければならないのは並々ならぬ努力が必要だろう。まして、いくら割り切っても、やはり血の繋がった親の率いる「部屋」である。逆に、他人への遠慮もあったに違いない。だからこそ、常に孤独感は人一倍かもしれない。
 私は貴の花のことは好きでも嫌いでもないけれど、何か彼について、世間が面白がっている風潮こそがとても好きになれない。今は彼にとって試練のときなのだろう。そういう時期は凡人の私達にだってあるはずだ。それを「洗脳」という一言で片づけてしまうことに、私はとても腹を立てている。
 あるカリスマ性を「世間」という得体のしれない場所に作られた場合、自分についての迷いや悩みを見せることのできなくなる立場に置かれてしまうのだろう。全くそういうことを吹っ切っているような強いヒーローとしての姿だけを求められているのだから・・・。しかし、彼等は何かを「創っている」。努力なしに、見せてもらい信じさせてもらっている私達は、彼等の心の、生きているうちの一瞬のやりどころくらい、黙って見守っていくくらいのお返しはしなければならないのではないだろうか。