東大を離れて思ったこと      別所 文雄

 長年お世話になった東京大学医学部を辞し、4月から杏林大学医学部に勤務しております。「長年」と述べましたが、具体的には、1969年9月に東京大学医学部医学科を卒業し、翌10月から無料研究生として勤務し始めて、2年間の留学期間を含めて30年ということになります。当時は、同窓会名簿をご覧頂けば分かるように、40、41、
42世代の入局がなく、43世代は卒業ボイコットということでやはり1年半の空白があり、4年以上にわたって入局者がいなかったため、関連施設への移動の機会もなく大学に「沈殿」してしまい、私の場合それがつい最近まで続いてしまったというわけです。
 このような入局者空白の理由は、言うまでもなく卒後研修の改善を求める運動から始まった東大「闘争」あるいは「紛争」のためです。「闘争」と「紛争」の違いは、関わり方の違いで、全く受け身的に「被害」にあったとする立場からはそれは全く「紛争」以外のものではないわけです。しかし、その時の状況を検討してみれば、その始まりは決して「紛争」ではあり得なかったことが分かるはずです。若い世代の人たちには是非そのことを理解していただきたいと思います。その発端は、卒後研修を巡る学生・研修医と、その当時我が国の卒後研修に対して責任ある立場にあった東京大学医学部附属病院の責任者との、病棟の近くで行われた話し合いの場での混乱に対する医学部による処分でした。処分自体一方的で問題があったわけですが、それ以上に問題になったのは、被処分者の中に、現場にいなかった学生が実行者の1人と誤認されて含まれていたことでした。医学部教官有志による綿密なアリバイ調査によりそれが誤認であることが証明され、それが東京大学の公式見解ともなったのですが、医学部教授会だけがかたくなに誤認を認めないという状況になりました。ここにいたって医学部教授会の倫理性が問われることになり、授業ボイコット、さらには43年卒業予定であった我々のクラスの卒試ボイコットという形で抗議行動始まりました。やがて、全学的な支援活動が始まり、ついには全学的な授業ポイコットという事態に至ったわけです。卒業を間近に控えたものにとって何の得にもならない卒試ボイコットがほぼ全員一致で決議されたこと、はそれなりの理由がなければ理解できないことでしょう。倫理性が問われる教授会に、自分たちを試すなどという資格を認めることができなかったと言うことです。現在では退職された方々が多くなっていますが、医学界に大きな影響力を持って活躍されている当時助教授あるいは一部ですが教授であった教官が抗議のためにそろって辞表を提出する寸前まで行っていたということもあったようです。
 このような状況はちょうど世界的に広がりつつあった学生を中心とした現代文明の在り方に対する批判の運動と重なり、大学の在り方などについての根本的な問いかけが行われるようになっていきました。「東大解体」などの一見過激な言葉も、物理的に東京大学を破壊するということではなく、東京大学を頂点とする大学の在り方、学問の在り方を問い直すことを意味していました。卒試をボイコットしていた間の有り余る時間を、欧米の大学を尋ね歩いて医学教育の方法を視察することに使うものおり、Jones Hopkins大学、Harvard 大学、Mayo clinicなどですばらしい教育が行われていることを初めて知ったりもしたものです。現在の実習中心のカリキュラムもその時の論議の中から生まれたものです。私自身は、はじめはあまり真面目に取り組んでおらず、せっせと医科学研究所に通い、癌の免疫療法を目指して動物実験を行っていましたが、やはり色々おかしなところがあるということに気づいてからは実験を止め、皆と行動を共にすることにしました。
 現在の東京大学医学部は大学院大学となっていますが、以上のような過程で、医学研究の在り方、さらには「医学博士」についての問題点も論議されました。博士号についての論議の結論は「足の裏の米粒」というものでした。これは、「つまらない物だが取らないと気になってしょうがない物」という意味ですが、その本質を実に良く表していると思います。私の考えでは、博士号とそれを取得するための「研究」が日本の臨床医学をだめにしている元凶でしたし、残念ながら今も同じです。問題点は、論文審査の過程でもしばしば現れています。その第1点は、臨床医学を志す人に対する博士号は、その人に与えられる物であると思うのですが、今の在り方は、あたかも論文に与えらるものであるかのようだということです。第2点は、ある病態を特定の原因に結びつける洞察力は臨床医学の研究者として重要な資質であると思うのですが、そのための「検査」を自分の手で行っていないということが博士号の資格の有無の論議で問題とされたことがあることから分かるような実験室的作業に重点が置かれているということです。この例の場合、私と同じ考えの医科学研究所の教授が援護して下さったため幸いOKということになりました。第3点は、論文博士の資格としての副論文の在り方に関する論議です。小児科が属する生殖・発達・加齢医学専攻では、専攻会議で症例報告でも良いことにするという要望を出していたのですが、研究科委員会では原則として認めないということになりました。私としては、「症例報告でも良い」ではなく、より積極的に、しかるべき雑誌に採用された「症例報告が1つ以上あること」を条件にすべきであることを主張していましたので大変残念に思っています。基礎医学も臨床医学も「博士号」は同じということを改める必要があると思います。
 「博士号取得のため」の研究の意義、初期研修と基礎医学との関係などの論議で、基礎医学の研究は卒業後数年の若い年齢の時が重要であるということと、基礎的研究の訓練は臨床医学でも役に立つという意見があります。これらの論議には一面の真理がありますが、あくまでも一面にしか過ぎないと思います。基礎的研究に重要な時期は臨床医学の研修にも重要な時期です。この重要な時期を細胞株や実験動物を相手に過ごすということは良い臨床家になるためにはもったいないことだと思います。研究者としての訓練には基礎的研究も臨床研究も共通の面があることは否定できませんが、それは主に手続き的な面、あるいは科学的思考方法の面であって、基礎的研究のためのセンスや臨床研究のセンスには違う面が大きく、それらを身につけるには、それぞれ独自の訓練が必要なはずです。猫も杓子も重要な時期に基礎的研究にいそしむ結果は、そこで身につけたセンスで患者をみるという結果をもたらし、患者を研究のための検体の供給源としてしかみることができないということになりかねません。このような観点から、大学院大学における臨床医学の在り方については十分な検討をしていかないと困ったことになるのではないかと心配しております。
 さらに研究の在り方については、その動機が最も重要であると思います。「博士号取得のための研究(いわゆるティーテルアルバイト)」では、博士号を取得すること自体が目的化していることが多く、一般的に持った興味に基づいた領域の研究室に入ってテーマを与えられるという形をとりがちです。このような仕事の仕方は、一昔前のティーテルアルバイト、すなわち1人1酵素という形での血清中逸脱酵素の正常値作りを彷彿とさせます。しかし、臨床医学の研究としては、日常の診療で疑問に思ったことを解決するために必要な研究を行うという形をとることが必要です。常に「な
ぜ」という疑問を持つことが大切だとおもいます。この意味では臨床は常に"research"ですし、それができることが臨床研究のためのセンスです。臨床検体を扱って遺伝子の発現や、蛋白質の分布をスクリーニングすることが臨床研究というわけではありません。
 結論として、臨床医学を良くするためには、採用する医者の資格として博士号の有無を問題にしない雰囲気を作り出す必要があるのではないかと思います。ちなみに私自身のことをいいますと、博士号は取得したわけですが、これは社会的事情もあったことは確かですが臨床研究での博士号をということの実践としてむしろ積極的な意図もあって取得したものです。
 長いこと東京大学にいたことの言い訳をしている内にだいぶ話が特殊な問題に向かってしまいました。必ずしも研究者を育てることが目的ではなく、良い「医者」を育てることが主要な目的であるという目的が明確な大学に移って、それに対して大学院大学となった東京大学はどうなっていくのかということが些か気になることもあり、この機会に勝手なことを述べるということになりました。
(べっしょ ふみお・昭和44〜45年入局)
2000.6. 「東大小児科だより」55号より


菱 俊雄