21世紀に向け新たな医療の国際協力を目指して
          -10回目を迎えたアジア小児科医交流計画(CPAP)-

1989年、東京大学小児科百周年を機に姶まったアジァ小児科医交流計画(CPAP)が、今年で10年目を迎えた。これは、アジア各国の若い小児科医を研修医として招へいし、日本の小児医療に実際に触れてもらうことで、アジァと日本の相互理解に役立てようというもの。この10年の間に、約80名の若い医師たちが日本を訪れ、日本の大学における最先端の医療現場や地域病院、国立小児病院、保健所の視察などを行ってきた。10年目の節目となる今回は、8月24日から28日の5日閤、タイ・バンコクのマヒドール大学に、これまでのCPAP参加者と日本側のスタッフ合わせて約70名が集い、記念集会が開催された。

アジア小児医療の課題浮き彫りに

記念集会のプログラムの中心をなすのは、各参加看が研究発表を行うトークセッションである。「小児感染症」「マラリア」「子どもの健康管理」などのテーマことに、14カ国からの小児科医が各国の現状や研究の成果、今後の課題などについて報告、そしてそれを受けての活発な質疑応答や意見交換が2日間にわたって繰り返された。発表の内容は非常にバラエティーに富んでおり、また多様であること自体が、各国の抱える問題や医療事情の違いを明らかにするものであった。その一方で発表後の意見交換が、アジア小児医療としての共通の課題を浮き彫りにしようとす方向に向かったものも少なくない。このほか、「デング熱」などをテーマとしたシンポジウム、ゲストスピーカ一による講演、さらに、チョンブリ県立病院の見学ツアーなど、非常に盛りだくさんの内容。参加者たちは、数年ぷりの再会に同窓会気分を満喫しながらも、中身の濃いプログラムを熱心にこなしていった。「CPAPに参加して人生が変わった」と話すのは、ネパール出身で現在は長崎大学に留学中の医師。「日本で得たものは計り知れない」とはミャンマーの女医。今回の参加者の中には、自国の小児医療の中心的な担い手として活躍している人物も多い。CPAPのまいた種が、確実に実を結んでいることをうがわせる、今回のブログラムであったといえるだう。

マレーシアで新生CPAPの初会合を

「私たちは、もはやベビーではなくトドラー(よちよち歩きの子ども)」。最終日に行われた今後の活動方針を決める全体会議で、ある参加者はこう発言した。その真意は「CPAPの運営や資金を、これまでのようにすべて日本に負うのではなく、自分たちでできることを協力してやっていこう」ということにある。スタート時から運営にあたってきた東京大学医学部の榊原洋一氏は「アジア各国の医療水準が上がり、インフラの整備が進んだこともあって、『各国の医師を東京に招へいするというこれまでのスタイルは、10年を機に改めるべきだ』というのが、僕たちスタッフの一致した見方でしたと話す。だが、実際何をどんなふうにやっていけばいいのか。それを参加者一人ひとりに直接間いかけたのが、今回の全体会議だった。「雑誌を定期的に発行する、インターネットでの情報交換をする、というところまでは事前に僕らも考えていました。でもフタ開けてみたら、中身はもっと熟成していた」。
「アジアの子どもたちの健康のために、若い小児科医にチャンスを与えるCPAPの活動を絶やしてはならない」。会議ではそんな共通の思いを確認しあうような意見交換の後、2年に1回の会合を持つことが決定。マレーシアからの参加者が名乗りをあげ、2年後の2000年、マレーシアのサラワクでの新生CPAP第1回会合の開催が宣言され、記念集会は幕を閉じた。

榊原 洋一