21世紀に向かう東大小児科      市堰 浩

言うまでもなく、近年の医療の発展には目をみはるものがあり、診断・治療の両面で半世紀前には想像もつかなかった事柄が実現可能となっている。その成長度は、指数関数的であり、このままの勢いで成長を続けるとすれば、あと50年後には医療を取り巻く状況は一体全体どうなっているのだろうか? その答えについては、私自身は、全く見当もつかないというのが実際のところである。だからこそ、このような急速な成長に伴って、大切な物を忘れてしまったり、見失ってしまったりということも充分に起こりうるのではないかと危惧している。医者を始めとする医療従事者は、単なる技術屋や医学知識を有する者という存在に留まっていては駄目だと思う。まさに子供のように自由で素直な眼で人を見つめ、そこから新しい事実、真実を見いだし、自分の言葉で表現していくことも必要になってくると思う。子供達と真っ直ぐ向き合うことによって、子供の持つ無限の可能性に驚き感動し、その自由な発想や表現から多くのものを学びとれるはずだ。21世紀に向けてこの東大小児科が進むべき方向は、子供たちとともにいる限り、自ずと決まってくるのである。
 とりわけ、どれだけ自由な組織として機能できるかということが、大切になってくるといえよう。21世紀を担う若者たち(自分がこの中に含まれるか否かはわからないが……)が、自分なりに感じたり思ったりしたことを自由に発言したり表現したりできる場や雰囲気を絶やすことがあってはならないのである。ただ、反面、自由であるということによって、組織の安定性を保つことが難しくなってしまう可能性もはらんではいるが、逆に自由度の極めて低い状態を想像して見れば、自由の持つ意味の大きさは明白であると言えよう。指導する者の言うことを、それが全てで、絶対的なものであると思っていたり、思わなければいけない、自分の感じたことを発言しにくいという状況では、そこから育ってくるものはまさしく、その指導者のコピー版(ひどい場合には縮小版となることだってあると思う。)にしか過ぎず、組織の構造は単純均一で、さながら金太郎飴のように、どこを切っても同じで、無味乾燥なものとなってしまい、いつまでたっても新しいものも生まれず、古い誤りにも気付くことはないであろう。自由であるということからこそ、個個人の可能性が広がり、活気に満ちた組織となるのである。あとは、自分を信じるのと同じように他者を信じ、自由という大樹のもとに集うだけである。世の常として、大きな組織になればなるほど、様々な規制や罰則等を設けて管理下に置く傾向が強いように感じるが、物事にも程度があって、現代の管理主義はあまりに人間を信頼していないというか、馬鹿にしているといった感じが強く感じとれて、ただただ呆れるばかりである。私たち東大小児科も年々大所帯になってくるが、安易な管理主義に走ることなく、個人個人を尊重したうえでの自由な風潮のなかでの、一見脆くて壊れそうではあるけれども、お互いの信頼という強固な絆でつながっているという、しなやかなだが決して折れることのない青竹のような組織として成長し続けていくだろう。20世紀という産業、文明が高度に加速度的に発展をとげたおばけのような時代もあと残すところわずかとなったが、ここらへんで一息ついて、人間としての存在の根底を支えてきたものがなんであったかを再認識し、新たなる時代へ向かっていきたいものである。
 私自身、医局長として働き始めてまだ6カ月と日が浅く、その日一日をそれなりに終わらせるのが精一杯という感じの状態ですが、いろいろなことが自分にとって新しい発見になっていると思う。特に大きな事として実感したのは、医療、研究、教育全ての面において、ほんとうに数多くの人々が全く目につかず気付かぬところで支えていてくれているということであった。人間、自分一人の力ではどんなに力があり、どんなに頑張っても、実は何一つできないのだということ、あたかも自分一人の力で成し遂げたかのように思えるときがあっても、大きな間違いであるということ、自分たちの気付かぬところで数多くの人達が支えていてくれるからこそ今の自分たちがあるのだ。傲慢さを捨てて、常に謙虚な姿勢で、物事に取り組んでいこうとすることが肝要である。幸い、東大小児科には、北は北海道、南は九州・沖縄まで全国至るところに、いろいろな病院・医院・診療所があり、そこでの医療、人々の生き様を目のあたりにすれば、大学病院や大きな専門病院でなされている医療だけが全てではない、自分の置かれた場所は何処であれ、誇り高く、勇気に満ちあふれ、夢や希望を絶やすことなく日々を過ごしていくことが大切だということが実感として感じ取れるだろう。私たちの周りにはそういった誇るべき人が数え切れない程存在し、私たちを支え、励まし続けてくれているのだ。21世紀に向けて、東大小児科と関わりのある人一人一人の息吹を一つたりともかき消すことなく、大切に記録に留めておくということも私たちの義務とも考える。
 自由であるということ、勇気と希望を心に抱き続けるということ、こういったことは全て子供たちには、生まれながらにして備わっているものであって、成長し大人になるにつれて一つまた一つと気付かぬうちに失っていくものである。重い病に侵され、夢や希望を失いそうになっている子供たち、心無い大人たちの築き上げた潤いのない社会に押しつぶされそうになりながらも懸命に毎日を過ごしている子供たちの傍らには、限りなく子供のような小児科医が寄り添って、子供たちの瞳に輝きを取り戻そうとするべきだ。東大小児科にはそれが出来ると確信している。
 夜空には数多くの星たちが輝いている。全ての星たちに名前がつけられているわけではない。否、名もなき星がそのほとんどを占めているかもしれない。しかし、そんなことには、一切関係なく、星たちは、おのれ以外の星を、茫漠たる暗闇をも照らし続ける。ささやかな、その星なりの希望を求めて。
きっと、私たち地球人の知覚の及ばない暗闇の向こう側でも、同様な光景が広がっているはずだ。
小さくか弱い我々は、星たちのけなげさに強く心を動かされ、また明日からも頑張って生きようと決意する。名も無き星たちのように生きるのだと。(1997.4.1)


菱 俊雄