松永のぞむさん

「ねっ、ねっ、今日はののちゃん号(めだかの学校のバス)に乗ってもいい?」めだかの学校で外出するとき、必ずこんなふうに子供たちに尋ねられる。白が基調の車体には、水色と真っ青な雲が描かれていて、雲の真ん中で気持ちよさそうにののちゃんが笑っている。:今回は、小児科のバス「ののちゃん号」のデザインや、関孝行さん作の小児科のシンポルマーク「ののちゃん」を封筒などに使用されているロゴマークに変身させて下さった、デザイナーの松永のぞむさんにお話を伺った。松永さんは、六本木にある「サンスタジオ」というオフィスに所属している。広告代理店「博報堂」の依頼による仕事が多く、味の素の「CookDo」、カップラーメンの「ラ王」のパッケージなど、普段何気なくスーパーマーケットで私達が見ている商品のパッケージもたくさん生み出しているオフィスである。
『僕の身の回りはいわゆるエリートで、堅い環境でしたね。小学校4年生の時から、塾に通ったり家庭教師も来ていました。高校生になって、そうやって周りに流されていくのがとても面白くないことに思えたんです。僕は一流大学に行きたいとか、一流企業にはいりたいとか、まったく考えなかったから勉強をする意味を考えてしまったんですよ。絵が好きだったから、美大を受験したんですが、受験に失敗して二浪して、本当にその時は悲惨で一したね。予備校の2年目の学費を払い込まずに、年間200本の映画を観たり、あげくの果てには3回目の受験に遅刻して。このままこんなことをしていてどうなるんだろう?もうどうしようもないところまで来ちゃったんで、美大を諦めてデザイン学校に入学したんです。それからは真面目に勉強しましたねえ。 だって、デザインのデの字も知らなかったんですから。でも中学・高校と斜めに進んでいって、石のよう1に感情を抑えていたから、専門学校で出会った仲間には感動しましたね元。芸術を目指す人間は素直にいろいろなものに感動する。感動しなかったり何も興味のないヤツ、やっぱりそういうんじゃダメなんだよね。「これは面白い」「これはすごい!」「これはきれいだ!」って素直に思えないとね。』
一ファインアートのような絵を描くということと、デザインという作業は違うと思うんですが,デザインを初めてから松永さんの中で抵抗はなかったですか?
 『小さい頃から絵を見たり、描いたりしたことが案外重要でしたよ。実は、デザインっていうのは定石みたいなものが決っているんでそのとおりに訓練して行けば誰にでも出来るんです。ただ、いい物を造るにはその人の育った環境、それまでに見たり聞いたり感じたこと、そういう物を含めての才能なんです。
 デザイナーは「これはこういうところが素晴らしいんだ!」って言い切れる価値観を持っていないとつぶれるんですよ。そういう意味でも、印象派の絵画を見て、テクニックは勿論だけど「この人は何を表現したかったのか?」という奥の奥まで読もうとする作業を沢山するべきなんですよね。案際、本物を見たら「この人はとてつもない天才だ」って驚くことがいっぱいあります。
 デザインというのは物を造ることから始まっているんです。厳密に言えぱ、身の回りの物のデザインが根底にあって、そのあと建築物のデザイン、それから資本主義が進んで、現在では広告デザインが主流になったんです。』

広告デザインというのは、今人が何を求めているか、世界はどうなっているのか、常に動きを追いかけて考えると思うのですが、芸術性という点も重要ですよね。
 『最近の若い日本のイラストレーターが自己主張だけを全面に出して描いたりする・そういうのは誰でもできるんですよ。子供が思いつきで描くような、ここにはこういうお花があった方がいいとかそういうことと変わらないでしょ。でも天才と呼ばれる人は自己主張もさることながら、それをどうやって人に見せるのか考えているんです。僕はそういう作品じゃないと認めたくないですね。自己主張だけで「わかんない奴は認めない」っていうのは、芸術家とは言えないでしょう。自分の感性を、技術をもって人にみせてあげたい。例えば風景ひとつにしても人にわかるように描かなければ、意味はないんですむ結局人問の内部の優しさとか愛とか、そういうものから湧き出てくるんですよね。
 しかし、デザインは芸術ではないんです。商業目的としてひとつの戦略をビジュアル化したものだから、芸術じゃなくて仕事なんですよね。写真だけ、絵だけなら芸術だけど、どこかの会社のロゴがひとつでもはいったとしたら、もうそれは仕事になってしまう。
 若い人がデザインに関して勘違いしているのは「自己表現の手段」と思っていることです。デザインは物を売ることを目的と考えて造る。論理的に考えるのが本当なんです。
 パッケージひとつとっても、どういう年代を対象にしているか、棚に置いたときにどういう雰囲気か、イメージは高級感を狙うか可愛らしさを狙うか、そうして造られた見本で、どのイメージが良いか調査する。ひとつの商品を造るにも、何十人、何百人の人が関わっているんです。』
 そうして苦労して手掛けた商品が、ありとあらゆる人達のもとに置かれるって素敵ですね。
 『だから立体物のデザインの方が、僕は好きなんです。出来上がったときに感動が違うんですよね。広告って結構とんでもなくって、目本は特に表現がわからない。ポスターとかも、どこの会社の何の商品か、何が言いたいのか、不思議じゃないですか?「ああ、面白いね」って言うだけで終わっちゃうんですよ。』

 松永さんの手掛けた仕事の中で、「これは!」っと言うような思い入れの強かった仕事を教えていただけますか?
 『いくつかあるんですが…、ううん、そうだなあ。神戸の青少年科学館というところを造るにあたって、子供向けの展示館の壁やパネルを200種類ぐらい頼まれて造ったんですが、難しかったですねえ。
 人体の臓器の断面図とか、まず資料探しをしてデザインをしていくんですが、苦労しました。残業が200時間を越した月もあったんで、出来上がったときは嬉しかったですよ。』
 どの仕事でも、やはりかなり練って行く時間が必要ですか?
 『いや、デザインはオーダーがあったときに話を聞くと90%頭のなかに出来上がります・後は「1週間後にプレゼンテーションして下さい」と言われたら、その1週間は最後の10%のツメと製作の時間です。』
 一常に頭と心を刺激していないとひらめきませんよね。
 『ええ。よく物を見るように常にしています。企業の人に打ち合わせのとき、「あそこにある、ああいうもの」って今その場にないものを指摘されても「ああいうものってこんな形でしたね」と描けないとだめなんです。普通、人は何故近くにあるものを絵に描けないかわかりますか?答えは簡単なんです。見ていないからだけなんです。ものがあるっていうくらいで、形や様子を頭で理解していない。漢字を知らなくても読めてしまうのと似ていますね。物の真ん中はどこかということも、デザインをするには重要です。パランスを見るわけです。色彩、バランスはすっと磨いていないといけない。』
 一いい仕事をするには、物事をじっと観察する。本質的なことにも通じますね。
 『そうだと思います。いろいろなことに興味を持ったり、裏にあることを考えたり。僕は思考タイプなんです。感覚的に生きてみたい気もするけれど、感覚でデザインすると自分の下心や中身が出てしまう。それを見られるのが嫌なんでしょうね。
 自己の表現はデザインではしたくない。デザインが人生唯一のものというデザイナーもいるけれど・僕はそうでありたくないんです。デザインはひとつ一の通り道と思っています。ずっと先にやりたいもの、見えるものは、まだわからないんです。いまだにわからない。ただ言えることは、「俺はいつまでもこの地点にはいないぞ」っていうことです。自分の過去に酔いしれることもないし、それを振り返りながら見てしまったら、満足してしまうかもしれない。それだけは嫌ですね。サラリーマンのデザイナーにはなりたくないですからね。』
(インタビュァー三上敦子 1993.9.)
 
                         

Edited by Atsuko Mikami