アップルコンピュータ株式会社  
  マーケティング本部   外村仁さん   
              福田尚久さん
 今から6年くらい前のことだったと思う。タレントの楠田枝里子氏がTV番組で何やら興奮していた。彼女は「マッキントッシュ」というコンピュータに凝っていて、最近コンピュータグラフィックスなるものを楽しんでいると力説していたのである。作品が2枚ほど紹介され、空を描いた絵はとても美しく仕上がっていたのだが、「へえー、コンピュータグラフィックスかあ…。」というのが正直な感想だった。驚いたのは彼女がマッキントッシュというコンピュータについて「かわいいんですよお。家に帰ると、マック君ただいま!!ってコンピュータに声を掛けるんです。」と豪語していたことだった。それからの数日間は会う人ごとに、その話をしていたように思う。よせばいいのに、ある日また話し始めた。自称ミュージシャンのその人は、「やだなあ、マックでしょ?音楽やってる人は使えなきゃ。」「……。」少し自慢げに、にわかマック伝道師になっていた私は、「使えなきゃ。」という友人の言葉が結構なアッパーカットで、すぐに伝道師を廃業することにした。
 それから3年後、なんと東大小児科にもマックが導入された。喜びもひとしおだった。今では小児科内で20台近くのマックが作動している。もちろん誰もが使える。
 前置きが長くなりすぎたけれども、今回は今までのいんたびゅーとは趣向を変えアップルコンピュータ株式会社を訪問させていただいた。
 
東京千駄ヶ谷にあるアップルコンピュータ株式会社は、半円形の建物でとても近代的。シルバーの建物の上の方に、あの6色のアップルマークが燦然と輝いている姿は非常に魅力的で、マックファンなら誰でも吸い寄せられて行くのではないだろうか。
 今日はマーケティング本部の外村仁さん、福田尚久さんのお二方にお話を伺うことになった。アップル本社のイメージ通り、ラフな雰囲気の外村さん、かちっと決めた福田さん、二人とも東大出身とおっしゃった。

『1960年代後半、SRI(スタンフォードリサーチ研究所)にダグラス・エンゲルバートという博士がいたのです。彼は1925年生まれで「コミュニケーションを図るためのコンピュータ(パーソナルコンピュータ)」を提唱していました。今のマウスの原型はエンゲルバート氏の発明です。
 もう一人アラン・ケイというパソコンの生みの親がいるのですが、彼は「ダイナブック」という、ノートサイズで子供にも使えるパーソナルコンピュータを提案しました。彼はエンゲルバート同様「人と人との間に入ってコミュニケーションをしていくことができるパーソナルコンピュータ」と発想し、それまでのコンピュータと別世界の物を考えていたのです。
 この二人が種を蒔いたとするなら、次は花を咲かせた二人、アップルの創始者スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアックです。彼らは当時まだ巨大だったコンピュータを机の上で使えるサイズにと考え、まずアップル氓試作し、続いてアップルを売り出しました。その後、ゼロックスのパロアルト研究所でアラン・ケイが考えていたシステムに触発され、真のパーソナルコンピュータと呼ぶに相応しいマッキントッシュを開発し、1984年に発表したのです。
 アップルは1987年にアラン・ケイのダイナブックをアップルのビジョンとして提唱するために`Knowledge Navigator´というビデオを作りました。これを今ご覧になって下さい。』
 「ピー。メッセージが三件あります。先生の研究員チームがグアテマラから連絡してきました。大学3年生のロバート・ジョーダンが期末レポートの提出を再延長してもらいたいとのこと。………」これは大学教授が自分のデスクに居ながらにして、全ての仕事や情報が入ってくるというもので、秘書や電話をしてきた人間が画面から語りかけてくるのである。マックの発展型のように見えるパソコンが我々の生活を向こうからアシストしてくれるという作り方で、現在実現されているものがもっと小さくなりインテリジェントになって 最後にこのような形に収束されていくであろうマックの未来を紹介したビデオである。アップルはこの‘Knowledge Navigator’を実現するために様々なテクノロジーを開発し、いくつかは既に製品に取り込まれている。 
 『もう一つホームドクターというビデオがあるんですが、滋賀医科大学の眼科医の永田先生が3年前京都で行われた医学会総会のためにお作りになったビデオで‘Knowledge Navigator’がもし実現できたら医者の生活をどう変えていくかというものです。高齢化社会に向けて家庭医が重要視されていますが、遠隔医療で現在使われているネットワークの流れと、Face to Faceのホームドクターのようなコミュニケーションを助けるものと、両方が揃ったら素晴らしいと思います。ネットワークというのは大変重要な分野ですね。』
 ネットワークは一昔前なら非常にマニア的な作業だったのに、マックでは当たり前になっている。かつマックは一つの画面上で盛りだくさんの作業ができるというのがやはり不思議なところである。
『今でこそGUIという文字ばかりでなく絵柄が出てくるウィンドウズなども出てきましたが、マックが出てきたときはそういったコンピュータが世の中に無かった時ですから、キーボードでコマンドを打つ時代がずっと続いていましたよね。誰もが触れたわけではありません。訓練した専門の人間、タイピストやオペレーターといった人たちだけが触れる。コンピュータはそういうものだと思われていたのです。速く計算をするマシーンというイメージだったんです。その頃にマックが登場して、値段にしてもサイズにしても個人が買える物になり、技術的に言えば、文字と映像・グラフィックス・音を最初から同じ土俵で扱っていたのです。その頃はまだマルチメディアという言葉が無かったんです。今はどの雑誌を見てもマルチメディアという言葉が盛んに使われていますけれど。
 1984年に登場した最初のマックは白黒の画面でした。グラフィックスが自由に描けて、そのグラフィックスの横に文字が入るというのはとても信じられないことだったんです。なおかつ自分でマイクをつないで録音すると声がファイルになって一つの声が出るということもその当時とんでもないことでした。そして最初から線一本つなげばネットワークできる仕組みがついていたということも、今にして思えば10年前によく考えたなと感心してしまいますね。パソコンで最初からネットワーク機能が付いているのは実は今ですら、マック以外殆どないんです。ネットワークボードを買ってきて、ソフトをいれてセットアップしてというのをやらなければいけないんです。哲学的だけど、人間って形から入るというか本当は自分のやっている研究にしても、みんな見てよって思ってるかもしれないし、作った物を一部使ってみてよと思ってるかもしれないけど、自分から言って回るのは大変ですよね。自分からアピールしなくてもみんなが見れる、見た人は使うかもしれないし、使われたらまたお互いに見て、他人に触発されるかもしれないし、共同研究が始まるかもしれない。単体で98があってそれ一台でやっていくという考え方から、対極の、最初からネットワークがありお互いがコミュニケーションしながら仕事をしていく、あるいは途中まで自分がやってその先を他人がやるというような共同作業していくことが、これからの仕事の在り方だろうと思います。
 この様な共同作業(コラボレーション)を更に推し進めるためのテクノロジーであるPowerTalkというのは漢字Talk 7.5になれば標準に使用でき、DATAという形で送ったり貰ったりしていたものを、自分の仕事の中身そのまま、運ぶというイメージなんです。もう一歩前進してメッセージが行ったり来たりでなく、現在おこなっている仕事をお互いにシェアしてどんどんより深く高めるという道具なんです。簡単にできるようになれば新しい何かが始まるようになる。仕事の仕方もきっと変わって行くはずです。』
 使えば使うほど、世界が深く大きく広がっていくようだ。そして電話回線を通じてのネットワーキングでもマックなら容易である。
『電話線でつながっていてモデムが通信していることを何も意識しないですよね。自宅で作った物が会社で印刷される。うちの会社でも「不思議だなー」とか言いながら使ってる人はたくさんいますからね。私も最初の頃は感動してましたよ。』
 ところで、マックが登場した時真っ先にユーザーになったのは、どういう人達なのだろう。
『アップル社から1984年にマッキントッシュが出た時最初に飛びついたのは、デザイナーやミュージシャンですね。表現力がもっともっと高まる道具だというのが口コミ的に広がってものすごい速度で広まったんです。今ではデザインやDTPと言えば殆どマックですよね。デザインのことしか書いていないマック誌もあるくらいですから。音楽では、以前のコンピュータではシーケンサーで数字を打ち込んでいくとその通りに音楽を演奏するという機械的なイメージが強くて、直感とか感性とかをコンピュータの言葉に一度直さなければ演奏できないものだったわけです。マックではMIDIの音楽ソフトが出てきたことで、微妙なテンポのずれとかを把握してくれたり、いかにも編曲アシスタントが横にいて、ああでもないこうでもないと言ってくれているような+αがある。音楽の表現力や質をより高める道具として広がって行ったんだと思います。
 ここ2〜3年のお医者さんのマックブームも似たようなものがあります。アップルの時代にMUMPSというデータベースがあったんです。これが、患者の病歴をデータベース化する際に最適と、先進的なDrがこれを使い始めたんです。それからリサというアップルの後のコンピュータを買ったDrも多くて、ご自分の娘さんに「リサ」と名付けたDrもいらっしゃるんですよ。最近では学会の発表もカラフルになってきて、カラースライドを作る方が多いのでマックのDrへの普及率はより高くなったと言えます。』
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『WORK STYLEが変わる、物の考え方が変わる、一回その世界に入ってしまうとマック無しということが考えられなくなる。マックのユーザーは一度買った機種を非常に長く使っているんです。他のコンピュータでは考えられないことです。マックは愛着を持って我が家の一員として迎え入れている方が少なくないですからね。』
 マックを「マック君!」と呼ぶ気持ち、アップルマークを見てときめく気持ちを心から理解できる今日この頃である。   (1994.12.1・東大小児科だより33号)

                                                                                                                                                                                                                         
 
                         

Edited by Atsuko Mikami</