阿波 彰一先生

 杏林大学教授の阿波先生は1990年3月まで、東大小児科の助教授であり、小児科システム研究室の長でいらした。杏林大学に移られる時、阿波先生はこの「小児科だより」にメッセージを残して下さったのだが、それは私たちにとっても、一際思い出深いものとなっている。
 チェロを奏で、音楽を心からの友とする阿波先生に、今回はお話を伺った。

 「私は韓国の田舎で生まれ、小学校一年生まで韓国に住んでいました。父が金融関係のサラリーマンで、会社が変わり、小学校二年生の時は北京に移りました。5年生で第二次世界大戦が終戦を迎え、半年くらいは北京の郊外の竪穴式住居に住んでいたのです。そこから迎えの貨車に乗って天津へ出、天津から船で日本へ戻りました。それから先もあちこちを転々としましたね。
 小さい頃は音楽や絵を描くのが好きで、油絵の具を6色買ってきて板を見つけてきては、絵を描いていました。音に対しての興味は人一倍あって、小学校の時は学校の音楽室のアップライトのピアノの後ろに隠れて、先生の演奏を聴いたりしていました。音楽の先生に少し教わってバイエルの練習もしていましたね。
 中学の時は簡単なポピュラー音楽をみんなと演奏したんです。合唱コンクールで「灯台もり」のピアノの伴奏をしたこともあります。
 それからいろいろなことに悩んだりする年齢になってから、クラシック音楽を聴くようになったんです。」
 音楽少年だった阿波先生が、医者という職業を選んだのは何故なのだろうか?
「私の父親は私に法律の勉強をしてほしかったようです。しかし私にはとても性に合っていると思えなかった。だからと言って「何を」というのはなかった。私は文学が好きで、理数系はあまり好きではなかったんです。ただ人間に対する興味が非常に強くて、人間の存在そのものに大変興味がありました。中学から高校にかけて思春期の頃は、人間や、地球、宇宙、哲学や宗教に漠然と興味があったのです。しかし文学や芸術では「食べていけない」と言われることが応えて、食べていくための確実な職業として医者を選んだのかもしれません。
 理数系は得意ではなかったけれど、しつこい性格だったことと、理屈をこねることが好きだったから、数学の構造や構成の美しさには興味がありましたね。今は数学に関係有る研究をしていますが、それも小児科医になって何年もたってからですからね。」
 前述の通り、阿波先生はシステム研究室の最初の室長である。先生が「システム生理学」に興味を持ったのは、アメリカに留学してからだという。戻られてすぐに先生はシステム研究室を作られた。
「小児科に入局してからも、もし自分に小児科が合わなければ他科に行くことも考えようと思っていました。循環器をやろうと思ったのは、学生時代の臨床講義で患者さんの検査結果についてプリントやスライドを見て考えるのですが、循環器は心電図を見て自分で考える余地があったので、自分に向いている気がしたのです。それから聴診器で「音を聴く」という行為にも非常に親近感を持っていたんですよね。
 小児科をと思ったのも、内科では循環器でも細分化されている。人間の身体の、心臓も肝臓も腎臓もそれぞれが有機的に関連を持って生きているのだから、全体をとらえることができる小児科をと思ったのです。
 システム生理学というのは、人間全体を見て、部分部分がどのように関連づけ合って全体像を型作っていくのか確かめる学問なのです。そういう意味で、小さい頃から持っていた人間に対する興味の延長上にあったのが、私にとってはシステム生理学であったのかもしれません。」
 幼い頃、がんこであまのじゃくだったとおっしゃる阿波先生は、子供たちを、どのように見つめているのだろう。
「小児科医になるまではとりたてて子供が好きではなかったですね。でも今は本当に子供はかわいいと思います。特に3才までの子供ですね。
 人生には2度、大きな悩みを抱える時があると思います。一度目は思春期、二度目は年老いて死の恐怖を感じて自分の人生を振り返るとき。思春期の悩みは前途があるけれど、二度目は選択の余地がなくなっている。そういう意味でも小児科医を選んで良かったと思うのです。子供を見ていると「原点」を見ている気がする。子供は本質的にエッセンスだけで生きていますからね。」
 阿波先生はこれからやりたいことがたくさんあるという。学問では考えを形にして残し、音楽ではチェロの演奏を録音して残す、そして心の中に強く響く物を文章にしたいと。阿波先生は何かを表現して伝える作業―やはり芸術家の要素を秘めているのだろう。「オーケストラの指揮をやってみたい」とおっしゃった先生は、満面の笑みを浮かべていた。
「若い人たちに言えることは、自由な気持ちを持って欲しいと言うことです。創作することは、束縛されない自由な発想を持つことだと思います。
 どんなことも逃げないで、どっぷりつかるまで考え込んだり、体験してもらいたいですね。人生は一度しかないから、ラッキーじゃないことにもどっぷりつかれば、深い経験になる。そしてそれは、考え方によってはラッキーかもしれない。体験して考え込むだけ考える。その方がきっと「濃く」生きれると思うんです。」
 
                          Edited by Atsuko Mikami