関 孝行さん

 東京地方も梅雨入りした日の午後、関さんは超多忙にも関わらず、わさわざ東大まで出向いて下さった。
 今流行りのエスニック風のシャツと、ジーンズに白のスニーカーという出で立ちで現われた関さんは、芸術家というよりも。アーティストと言った方が似合いそうな雰囲気だった。
 御存知のように、関さんは「ののちゃん」の作者である。昨年の”東大小児科100周年”を記念して、小児科のロゴを作ろうということになり、「東大小児科だより」などを通じて同窓会にロゴの募集を数回にわたり行なったが、残念ながら応募がなかったので、青山の「こどもの城」などに作品を展示している彫刻家の関さんにお願いできたら……ということになったのである。今日は関さんに「ののちゃん」の話、また彫刻という媒体を通じての考え方を伺えたらいいなと思い、ワクワクしながらお会いした。

 早速ですが、どうやって「ののちゃん」は生まれたのですか?
一それはですね一。僕の母親とこちらの三池さんが古くからの友人だったので、そういう関係でお話がありまして、先生方数人とお会いすることになったわけです。お酒を飲んで聞いた話に、とても感動したんですね。先生方の患者さんに対しての考え方、子供に対しての考え方にです。その中で「病院らしくなく、子供たちにとって家の部屋の中のような空間を作ること。」ということで、話を聞いている間に「ののちゃん」の形は浮かんで来ました。

 「ののちゃん」は抱っこされてますよね。具体的な意昧合いというのはどういうものですか?
一「ののちゃん」を抱っこしているのは病院そのものであったり、小児科であり、働いているスタッフでもあり、もちろん両親でもあるんです。僕自身、子供ができて人を保証する立場になったわけですけれど、自分がまだまだ本当は人に保護されたいというのもあるし、自分が「ののちゃん」でありたい。人間、考えてみれぱ人との関係は持ちつ持たれつだから、見ず知らずの人でもそういう関係でありたいっていうか。そういうことで「ののちゃん」は抱っこされているのかな。

関さんの他の作品についてもお聞きしたいんですが、「ののちゃん」も他の作品も、誰からも親しまれるような人間を表わした作品が多いのですが、こういう形態に行き着くまでの過程はどういったものだったんですか?
一昔は抽象的な物を造ることももちろんありました。ただ、例えぱひとつの直方体を表わそうとして、角が一つでも欠けてしまったら言葉の種類は変わってしまうわけです。でも、今自分が造っている物は、耳が一つ取れたとしても「とっちゃえ1」ということができる。それでも形として充分に言葉を発することができるんです。
人間の作品が多いのは、感情移入できるのはやはり人間が一番しやすいからですね。あと、人が好きなんです。でも自分からたまに歩み寄ったり、訪ねたりするのは楽しいですけど、団体生活に向かなかったというのはあります。なるぺく悪気を持って人のことをみないようしているんですけど。
 関さんが現在のような彫刻家になったのは、何か小さい頃の影響があったのですか?一家が神社だったんで、石の物が周りに沢山あったんです。欄干とかこま犬とか……。関係ないかもしれないけど、手ざわりっていうか、ああいうものに触れて遊んでいたことっておほえていますよね一。たから一番僕の理想とするのは、人がずっと触っていって、だんだんだんだんこなれていって、いい形やいい手触りになるように。そうだな……、川原の石みたいにゴロゴロこなれていって、無理のない、いい手触りの物、そういうのが理想ですね。自分で川原の石を意識的に造ることは、まずできないですよね。だからまあ、人物とか形に助けてもらって、見てもいいし、触り心地がいいものを造りたいというのが理想です。

 「さわりごこち」にあくまでも重点を置くと、やはり石が一番造りたくなるのですか?
一ええ、石はとにかく今一番好きですね。ねんどをやってもある程度は近いかもしれないけど、石のもとからの形が重要なわけですから。

 他の素材でも、理想を追求できる物はありますか?
一木ですね。これも幼児体験ですけど、縁側とか柱っていうのも実にいいでしょ。今の住宅は、柱を抱えて持てないですもんね。
 木の感触や、触覚的な思い出って、今でもありますよね。例えば、男の人だったら女の人にさわって気持ちいいとか、いやらしい以前の気持ちってあると思うんですよ。それは例えぱ、子供でも猫でもさわって気持ちいいし、なんかそういうのって、いいと思います。だから人が感覚で強いのは、絶対に触覚だと患ってしまうし、すごく重要だと思います。

 触覚や自分の五感にいつも注意していれぱ、感性が磨かれるのかもしれないですね。
一そうすれば、難解な芸術なんてなくなりますね。自分に備わっている感覚を素直に広げて、自分の電波として内面に入れていけばいいんですよね。理屈で見ちゃうと、あとでわからないんですよ。僕も、理屈で考えるとわからないときは、考えるのをやめてボーツと見てるとわかってくるような。音楽だってきっとそうですよね。

 そういう感性を伝える方法として、関さんは絵ではなくて彫刻を選んだわけですよね。やはりそれは「触覚」というポイントがあったからですか?
一一感性は文章にするとむずかしいですよね。どうしても詩人になってしまう。だから小説や文章でそういうのを表現する人達ってすごいな、と思います。それから絵というのは、途中の段階というか…、立体を起こす一歩前ですよね。だから、彫刻なのかな。「触る」というのは大前提の前提ですから、さわってくれれば「親近感が増す」っていうか。作品は僕の分身みたいな物ですから、僕の分身を通していろいろな人とコミュニケーションをとれるというのが嬉しいです。
 何百年も何干年もたった時、土の中に埋まっていた物が発掘されるとか、そういうことを考えるとロマンチックでいいなと、思うんですよね……。

 関さんは、患者さんはもちろんのこと、あらゆる人に「ののちゃん」にさわってもらいたいと言っていた。私なんかが感想を述べるまでもなく、この記事で「ののちゃん」の作者、関さんの素敵さは皆さんにわかっていただげたのではないかと思う。
 いつかは私達だってみんなこの世の中からいなくなるけど、「ののちゃん」だけはいつまでも沢山の人たちとコミュニケーションをとっていく。「ののちゃん」が、ずっと落ちついて自分の場所にいられるように、未来もかわいがってもらえるように、ずっと“住みやすい小児科’であることを願って。(1990年6月インタビユアー三上敦子)
 
                         

Edited by Atsuko Mikami