ごあいさつ

 年々医学は進歩し、高度に専門分化している。たしかにこの高度な医療を一個人ですべて体得し、実践することは不可能に近い。だからこそ他科にコンサルトする、あるいは専門医に紹介するという手段で我々医師の責任を全うするというやり方は存在するし、それが悪いこととは思わない。しかし、この方法は一歩間違えると紹介状を持たせた患者のたらい回しという無責任な医療行為に陥るおそれがある。自分の他に小児科医がいなかったらどうするのか。患者さんの不利益に結びつくことのないようにするにはどうしたらよいのか。この問題を私の前に突きつけたのが1ヶ月に一回行っている二つの小さな島での仕事である。この島には小児科医が私しかいないという緊張感がこの問題意識をもたらしたのである。
 よく考えてみれば、それは別に東京にいても同じ事である。コンサルトという名前で患者さんから逃避するのは、島でいえば患者さんを目の前にして、飛行機で島から逃げ出すのと同じ事であるといったら言い過ぎであろうか。外来で、病棟で出会った患者さんのためにそこにとどまりベストを尽くす。別に他に小児科医がいてもいなくても当然とるべき態度である。ただ、東京ではそれに気づくことが難しく、避けて通るのが易しいだけである。
 離島に居るのだと思って、常に自分しか居ないという緊張感を持って、患者さんのために働き、ベストをつくす。これが今度新しく出来た研究室(と思っている)の名前の由来である。
 医者となって5ー6年もすると、一応一通りのことができるとみなされる。あるいはできると思うようになる。そして経験年数が増えるのに伴い、外来のコマ数などが増え、だからとりあえず毎日の仕事がこなせればそれでよいという気になってしまう。何となく習慣的に日頃やっている医療行為、それが本当に正しいことなのか、もっといい方法があるのではないか一回立ち止まり、自問する必要はないだろうか。そんなことも二つの島での体験は考えさせてくれた。そして同じように考え、島、あるいは田舎で小児科医をする、してた、しようという人間が集まってできたのがこの研究室である。
 はじめて医者として病棟に立ったとき、市中病院で初めて1人で患者を受け持ったとき、早く一人前の医者になりたいと思った、その時の気持ちを忘れずに一歩一歩学んで行くものが自由に集まり、学び、くつろげる場となれば幸いである。


 

Edited by Ken Tatsumi