差別と共生      熊谷晋一郎

今回、いつも興味深く読ませて頂いている、「小児科だより」に寄稿する機会を頂き、とても嬉しく思います。何を書こうか、いろいろと悩んだのですが、この場をお借りして、自分が長い間考えてきた、そしておそらくこれからもずっと考えていくことになるであろう、「差別」というテーマについて、多くの読者の方々と一緒に思いをはせてみたいと思うに到りました。「差別」という言葉は、それを口にすること自体で周囲を興醒めにするようなところがあって、とかく真向からそれについて語れる環境というのは少ないように思います。また、それを口にすること自体が、いつまでたっても差別を温存させる原因の一翼を担っているのではないか、という意見もあります。しかし自分は、「差別」という現象は、決してごく少数の人々だけにしか関わりのないものではなく、到るところにありふれたものだと考えています。そしてそれについて考えること無しに、人と人がある一定以上の距離を縮めることができないというのは、紛れもない事実ではないでしょうか。ここ数年の、世界で起きている悲しい現実を思うと、ここで少しの間でも「差別」について考えてみることは無駄ではないと思うのです。

まずはじめに、自分が、「差別」という言葉を、どういう意味で使っているかという点について、話す必要があるでしょう。人が人を差別する時の形の多くは、「あの人は○○だから××なんだ」です。○○はその人に貼られたレッテル、あるいはより一般的にはアイデンティティーで、××は、社会(ローカルな集団も含めて)が多数派の常識という暗黙、あるいは明文化された権力構造をもって、○○というアイデンティーティーに与えた性質、価値、あるいは命令です。つまり一つの差別が成り立つためには、差別する側とされる側の二人だけでは不十分で、その二人が含まれる社会集団とそこで共有される権力を持った規範が必要なのです。

ところで一人の人間には、先天的、あるいは後天的に、社会から複数のアイデンティティーを与えられます。例えば自分について言えば、男性、研修医、身体障害者などなどです。アイデンティティーのなかには自分の意志とは関係なく勝手に与えられるものと、自分の意志で獲得するものがあることにも、気付かれたことでしょう。厄介なのは、アイデンティティーにはもれなく、性質、価値、命令などがついてくることです。中にはとんでもない価値や命令がついたアイデンティティーを勝手に割り振られる人も、当然出てきます。男たるもの××べし、等の類の形で。ここで疑問に思わなくてはならないのは、そういったアイデンティティーやそれと結びついた性質、価値、命令は、いったい誰が何のために発明したのか、ということですが、その詳細は社会学者に任せるとして私たちの多くは、そんなことには無自覚でただ過去から引き継がれたものを再生産していることは確かです。そして、不利なアイデンティティーはひた隠し、少しでも有利なアイデンティティーを手に入れようと日々躍起になっているのです。

そういった、戦々恐々とした渦の中で、少数のアイデンティティー、つまりマイノリティーが差別される訳ですが、差別の仕方には大きく二通りあると、フランスの社会学者A.Taguieffは言っています。一つは、「隔離」です。つまり、マイノリティーを社会の表舞台から排除する形で、そのようなアイデンティティーは「なかった」ことにしてしまうこと。もう一つは、「同化」、すなわちマイノリティーをもっと多数派のアイデンティティーに近づくよう矯正することで、そのようなアイデンティティーは「なかった」ことにしてしまうことです。どちらにしても、差別というのは、人に対する抑圧というよりも、少数のアイデンティティーに対する抑圧ということができそうです。少しでもアイデンティティーを均質化しようとするのが、社会の持つ性質なのでしょうか、それとも自分のアイデンティティーに失望した人々が、他人のアイデンティティーをおとしめることで何とか自分を保とうとしているのでしょうか。また、Taguieffは、「隔離」と「同化」という両極端な二つの差別形態の関係について、「一方に対する批判は、それ自体が他方の差別に与する危険性がある」とも警告しています。そこら辺の問題について、手前味噌ではありますが、障害者運動というものを通してもう少し具体的に見ていこうと思います。

自分は、十代の最も多感な時期に、身体障害者の自立生活運動、と、聴覚障害者の手話や情報保障をめぐる運動という、全世界的な広がりを持つ大きな二つのうねりに触れることができました。その経験は、自分の人生にとって、大変に大きな基盤となっていると思います。そしてこの二つの運動は、先ほど述べた二つの差別、「隔離」と「同化」を非常に端的に例示できるものです。勉強不足な点もあるので、あくまで自分としての理解の仕方であると断ったうえで、でき得る限り、各々の紹介をしてみようと思います。

身体障害者の自立生活運動は、それ以前の、「施設」や「家族」という密室内での、管理下に置かれた生活から抜け出し、「地域」という社会の表舞台に場所を移して自分の意志で選択できる生活をはじめよう、というものです。かつての身体障害者の生活が、どんなに悲惨なものだったかは、永遠に語り継がれなくてはならない歴史の一つですが、数多くの優れた書物(「現代思想『身体障害者』」、「生の技法」、「障害学」、「母よ殺すな」、「車椅子で夜明けのコーヒー」、「無敵のハンディーキャップ」など)が出版されているので、ここでは詳しくは述べません。どちらにしても、人として最も基本的な本能、水を飲む、トイレにいく、性生活を営む、いきたいところに行く、果ては生きることそれ自体まで、周囲の目があるから、世話が大変だから、責任が持てないから(誰の?)といった主流派の「都合」で制限されたり、切り捨てられたり、管理されたりしていた時代が、つい最近まで主流だったのです。これは、社会の表舞台から排除する「隔離」型の差別の、非常に極端な例と、言えるでしょう。しかしそういった厳しい状況を打破した、勇気の固まりのようなすごい身体障害者達が、全世界で同時多発的に自立生活運動という流れを打ち出しました。皆、文字どおり、家出、脱獄の上、何もない地域で一から生活を作り上げていったのです。自分も、その先駈けの人たちからいろいろな話を聞くにつけ、今の自分の暮らしがあるのは、本当に彼らのおかげなのだ、これを守り抜くのが自分達の義務だと強く感じました。

彼らの中には、24時間、誰かがついていなければ食事、排泄、着替え、移動、喫煙ができない方も多いのですが、常に介助者をつけて一人暮らしをしているのです。その介助者というのは、本人が、街頭で手作りの介助者募集のビラを配って集めた人たちです。行政が派遣してくれるマンパワーで補えるのは、週数回、昼間の介助、それも掃除洗濯だけだったりする訳ですから。そうやって数百人ほど集めた介助者のローテーションを毎月組んで、自分が要求して勝ち取った制度から介助料を支払います。数百人も介助者がいれば、ありとあらゆるジャンルの人たち、学生、アマチュアバンド、占い師、自営業者などがいて、どこよりもその家に、「地域」があるといえるような豊かな場所になります。二人とも障害をもった夫婦の家などは、常に妻の介助者、夫の介助者もいる訳で、当然そこで介助者同士で恋が生まれ、結婚して、子供が産まれ、子供もまた介助者、なんてすごいことが起きることだってあります。

彼らの多くは、「介助」と「介護」という言葉を、使い分けています。意思決定をするのは自分でその実行を手伝うのが「介助」、自分の意志は二の次でサポートする側の都合が優先されがちなのが「介護」というふうに。その上で、自分達が要求するのは、介護ではなく、介助だ、という主張を繰り広げる訳です。これは、過去の歴史を振り返れば、譲れない当然の要求と言えるでしょう。

そういう彼らの生活を、「施設に入った方が楽なのに」とか、「そこまで人に迷惑かけて」というふうに評する意見は、いつの時代もある訳ですが、そういう言い方をする人は、おそらく自分の意志や人格を、「社会から」思いっきり踏みにじられたことがない人たちなのでしょう。運動の中で謳われる、ノーマライゼーションという言葉は、マイノリティー自身が人としてノーマルな生活をする権利がある、という意味だけでなく、マイノリティーがマイノリティーのままで社会の構成員となれるのがノーマルな社会だ、という意味も含んでいることを忘れてはいけません。そのためには、大変な摩擦を覚悟の上で、辛抱強く、時間をかけて地域に根をはっていく作業が必要になるのです。介助者も障害者も、介助の原則は守りながらも、言いたいことは言い合って、共に作り上げていく社会がそこにあります。

他方、二つ目の聴覚障害者の手話をめぐる運動は、「同化」型の差別に対する挑戦ということができると思います。自分はかつて、手話は聴覚障害者のために人工的に作られた、車椅子と同じようなもの、という誤った認識を持っていました。しかし聾の家系や、聾学校の寮などでは、誰からも教わることなく自然発生的に手話が流用されたり、研究してみると、ジェスチャーなどとは全然違って、手話には音声に全く頼らない構語構造(文法のようなもの)がある事も分かっています。現在では手話が言語であることは言語学の常識ですし、日本でも10年程前に政府が手話をろう者の第一言語としてみとめています。つまり、手話は決して人工的なものではなく、自然な言語だということです。(このあたりのことは、「基礎からの手話学」に詳しいです。)

しかし多くの聴覚障害者は、小さい頃から音声言語に適応するよう訓練されます。残存機能によってはうまく音声言語を獲得できますが、当然個人差は生じます。かつては、普通小学校に行くために、読唇術と口話法を厳しく訓練するということも多かったようで、彼らの中には大学の手話サークルではじめて手話に触れたという人もいるのです。読唇術というのは会話内容が正確に伝わりにくい上、多数で話し合うような場では、手を挙げるなどして注意を向けないと、今誰が話をしているのかも分かりません。そんな状況で普通学校にぽつんと放り出されて、どれだけ心細くて孤独なことだろうと、思ってしまいます。事実、手話をめぐる運動は、そういった背景の中で生まれた、自分にとっての本当の言語を求める運動だったのです。詳しくは、「現代思想『ろう文化』」を是非読んでみてください。

多数派の言語に無理してあわせるのではなく、たとえ通じるのが少数であっても、自分にとってもっとも心地いい言語にこだわる、という彼らのスタンスには、強い共感を覚えました。手話と呼ばれる言語の中には、本当に自然な、つまり音声に全く頼ること無しに表現できる、「日本手話」というものと、文法やイントネーションは音声言語である日本語のままで単語だけ手話に代えて羅列しただけの、「日本語対応手話」というものがあるということもその時に知りました。ちょっと前まで、テレビなどの手話講座では、耳の聞こえる講師が「日本語対応手話」をレクチャーしていることが多かったのですが、最近ようやく聾者がネイティブの「日本手話」を教えるようになったことにお気付きの方もいらっしゃるかも知れません。彼らは言語、というものを介して押しつぶされ、同化されそうな自分のアイデンティティーを復権するために主張をしてきた訳です。

手話というのは、触れてみると非常に魅力のある言語です。表情も表現力も豊かになるし、よそを向きながら会話をするなんて事もありません。雑踏の中で、遠くからでも話せます。大学の第二外国語に手話がないのが不思議でなりません。むろん、手話には文字がないということ(北欧では読み書きは自国の音声言語で、会話は手話で、というバイリンガリズムという教育が実践されています)や、聞こえない人の親の約90%は聞こえるという現実もありますが、それをもって「ろう文化」という豊かな財産を譲るわけにはいかないでしょう。

以上、二つの具体例から、差別の両極、すなわち「隔離」と「同化」についてみてきました。私たちは、少数のアイデンティティーに対して、常にこういった差別をする衝動に駆られる生き物です。だからこそ肝に銘じなくてはならないのは、自分以外のアイデンティティーの存在を、認め、尊重すること。手早くあしらおうとすれば、差別はもうすぐそこで自分を誘惑しています。じっくりと向き合って、時間をかけて、想像力を働かせ、決して一方への同化ではない、共生への道を歩む度量が、全ての人に求められているのではないでしょうか。マイノリティーを同化させていく過程が、今はやりのグローバル化だとしたら、世界は寧ろ矮小な物へと変容していくことでしょう。自分たちの直ぐそばにもいる自分とは少し違う人たちの、豊かな内面の魅力に触れることが、本当の意味で世界を豊かにしていく過程なのではないでしょうか。色々な人がいた方が、楽しいに決まっているのですから! H14.4



菱 俊雄