榊原 洋一

1951年生まれ
1976年東京大学医学部卒業、現在東京大学小児科講師
専攻は発達神経学、神経生化学
小児科医として発達障害を持つこどもの医療に関わりながら
発達の機構について探求している
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オムツをしたサル    榊原 洋一著   講談社発行

書評

育児を科学的に捕らえた啓蒙の書
 本書は私的感慨を込めて、一人称で育児相談および子供の発達について。豊富な知恵を遺憾なく吐露している。赤ちゃんをもつ若い一母親に贈る啓蒙の書である。
 著者は、「ヒトの歴史は、生き方の自由度とか多様性を豊かにする方向をめざしてすすみ、現在の文明をつくってきた」という視座に立つ。そこから自由を最高の価値基準とする深い洞察が読みとれる。「利己的遺伝子への反逆が自由な“個”をめざした女性の選択にみられる。家族がどのようなライフスタイルをとるかということは夫婦が自分たちで選びとる、生き方の選択とする」という哲学は過去の育児書に比肩するものがなく圧巻である。
 だからこそ、本来育児の支援者であるべき人が、母性愛の名のもとに母親に母乳、スキンシップ、布オムツ、手づくりの離乳食の要求を掲げて介入することに反発をみせる。子供の発達の項は専門家を自認するだけあって、一気にもらい笑いの中に読み切れる。
 表題から受ける不安は「他の動物で証明されたことをヒトに当てはめるには注意が必要だ」という禁じ手の自覚をみて払拭される。
 育児に関する助言者がいなくなったり、育児情報の過剰と混乱により母親の育児不安が増強してきたり、育児が親以外の第三者に委託されるようになってくると、育児を科学的に学ぶことが要求される。育児を科学的に支えるのは子供の発達を知ること、子供の生活科学を知ることにあり、本書はこの両者を学ぶ良書である。
(高橋 滋日大練馬光が丘病院小児科部長〕-メディカル朝日1997 June



赤ちゃんの体と心の発達24ヶ月    榊原 洋一著   主婦の友社発行


ヒトの発達とは何か(ちくま新書)    榊原 洋一著   筑摩書房発行

最近の本屋の店頭では、新書の世界で異変が起きているといった感があります。I書店やK社あるいはC社といった老舗を差し置いて、今一番新刊を手にするのが楽しみな新書はと言えば、昨年始まった筑摩書房のシリーズであると(私は)思います。刊行以来、気鋭のライターを続々と掘り起こし採用しているので、一冊一冊に勢いが感じられ書評で取り上げられる機会も多い様です。本書もその典型例であると言えると思います。あまり独善的にならぬ様に配慮されながら話は進んでいきますので、一般向けとしても読みやすく書かれていると思います。
 しかし内容には、これまでの育児マニュアル的な視点ではない、新たな乳幼児の発達のとらえ方が随所にしっかりと示されています。そしてその見方というは、とりもなおさず小児神経学を実践する医師としての榊原先生の今立っている所でもあるのだと思います。
 本書の中から例を挙げるとすると、例えば我々が記憶する学習する。その機序として有力視されているのが、長期増強と呼ばれる電気生理学的な現象です。これは実験室の中で、2つの神経細胞の間の連絡の効率を、細胞内に細い電極を刺して計測してして初めて観察されます。
 現時点で分かっているのは、その細胞レベルの現象が存在するということ。そして一方では、幼児が2時間に1つずつという驚異的なスピードで言葉を憶えていく現実。おそらく両者は関係があるのだろうとしても、細胞レベルの出来事と実際のこどもの発達の間にはまだまだ分からないことだらけです。どうして言葉を獲得するにか、脳のどの部分が成熟する事によってそうした学習記憶が可能になるのか、さらには言葉の障害のあるこどもはどこが問題なのか。今でもやはり誰にも答えられません。
 ただ、小児の神経に携わる人間は、脳に関して科学的にこれだけのことが明らかになってきており、少しはこどもの発達も科学的に説明ができる様になるのではないか、そんな予感がしている所だろうと思います。そこで分かっている範囲のデータを基にして、説明を分かりやすく試みたのがこの本書だという気がします。但し、断定的な自分の説を押しつけるということは一切しておらず(そういった自己満足的な本がなんと多いことか!!)、これまで解明されたこと、そして今後解明されるであろうことなどが、順番に説明されています。
 大事なことは、その立場があくまでも乳幼児検診でこどもの発達を楽しみに見守る小児科医の視線だということです。ややもすれば難解になりやすい題材ですが、こどもが寝返りをしてはいはいをして歩き始める、そんな具体的なイメージを持ちながら読める様に工夫されています。(これ以上分かり易くは書けない!)最新の神経科学の知見を知りつつ、一方では診療の中でこどもたちの実際の発達を見守っている榊原先生だからこの様に書けるのでしょうし、そのバランス感覚が実は、この本を説得力のあるものにしているのだと思います。
 身近な者としては、多忙な榊原先生の日常を知っているだけに、資料等の準備を含めて、ともかく広い視野をもって良く書かれている、と感嘆しました。10年後にその時点での最新の知見をいれた改訂版を是非出して下さい。発達の研究は現在進行形です。(岡 明)


 


Edited by Toshio Hishi