国際医療協力をめぐる視点

榊原 洋一


 医療協力に限らず、国際協力の基本的理念の一つに、被援助国の自助努力というのがある。英語では self sustainabilityというが、要するに援助期間が終わっても、自力でそのプロジェクトを遂行できるような力をつけることを被援助国に課す、という考え方のことである。この条件は、いわゆる「援助慣れ」をしている国の自覚を促し、また援助でその国に政治的な影響力をあたえようとする傾向のあるドナーの自制を期待するためにつけられたものである。自助努力は、金銭的な自立だけではなく、計画立案実行評価などプロジェクトのすべての側面について要請されている。
 さて一昨年来私が母子保健プロジェクトでかかわっているガーナは、被援助国のなかでは超優等生とみなされている。保健省をとってみても、そこに働く官僚はきわめて優秀である。こちらの拙い英語にもかかわらず、こちらの言っていることを細かいニュアンスまで含めて確実に相手が理解していることが、交渉をしていると伝わってくる。優秀といってもいろいろあるが、ガーナの保健省の部長より上のクラス、特に若い部長たちは、最近の言葉でいうと「超キレル」頭の持ち主たちばかりなのであった。ほとんど全員が、イギリスやアメリカの大学で学んだ経験をもち、そこで西洋的な合理的な考え方を身につけている。交渉しながらこちらが、本当に胸がすくような気持ちになるような超秀才ぞろいなのである。しかし、この秀才たちに、欧米の援助国は頭を悩ませている。愛国心も旺盛な彼等は、援助国に対して教わった通りの論理性で「自助努力」を見せ始めたのである。具体的には「もう技術援助や人的な援助はいらない。十分にそれらは自分たちでやっていける。だから金だけくれ。プロジェクトの進捗状況はちゃんと報告書で知らせるから、心配ない。」と。さまざまな理由で、経済支援より技術や人的協力に比重を移していた、欧米の援助国と援助チームは自分たちの出番がなくなってきたことに気付いたが、なにしろ自分たちが教えこんだ論理にそった流れであるだけに、反対できない。お金さえあたえれば、ちゃんとできるのは結構なことではないか、と私も最初思ったが、どうもそうでもないのである。まず第一に、優秀な官僚の作文と、実情との間に乖離があることが多いのだ。私が関係した今回のガーナのプロジェクトの対象である医療従事者の再教育(インサービストレーニング)についても、書類の上では、立派な計画ができているのに、実情は計画の2〜3割しか達成されていない。立派な報告書の基礎資料であるデータがまったくあてにならないのは、保健省のレベルと地域のレベルに大きな差があるためであったり、情報の収集システムがうまく機能していないためであったりする。さらにドナー側にも、「結構ではない」理由がある。それは国際協力を行う根本的な理由に関係している。援助には「人道的」な意味だけではなく、国の外交政策としての意味がある。ことに、国際社会での意思決定機構の3つの大きな構成要素は軍事力、経済力そして人的資源であり、援助を通じて経済力と人的資源の効果を期待している多くのドナーは、援助国の自立によって「人的」プレゼンスを介した影響力の低下を恐れているようなのである。ヨーロッパの援助国、たとえばガーナの場合、旧宗主国であるイギリスは、自国の経済状態の低迷によって、「人的」援助が大きな比率をしめている。はるか大西洋と太平洋を隔てた、ほぼ地球の裏側にある日本が、ガーナが受け取っている総援助額の40%を占めており、イギリスのそれの数倍の規模になっているのが現状である。今、世界銀行が音頭とりになって、コモンバスケット方式という援助形態がガーナでも推奨されている。さまざまな援助国や国際機関からなるドナーが、別個のプロジェクトを行うのではなく、コモンバスケットと呼ばれる共通の資金プールにお金を入れ、ガーナ政府がそこから自分たちの考えで(自助努力)、その使用計画をたてて使うというのである。私も昨年、アメリカ(USAI)とイギリス(DFID)(ともに日本のJICAにあたる)のガーナ事務所を表敬訪問したが、いずれの代表者とも、コモンバスケット方式を建て前として推進する立場をとっている。そして現在のところ参加していない日本にもぜひ加入するように勧めるその口で、本音として自分たちの役割が小さくなることとガーナに本当にできるのか、という不安を述べるのである。お金はだすが口はださない(だせない)日本がこの資金プールに資金をいれてくれれば、彼等としても大助かりなのだ。
  さて、医者にとって国際医療協力のこれまでのイメージは、(1)実際にプロジェクトサイトにいってそこの住民を対象に診療や調査を行う、(2)住民の検体(血液など)を集めて、それをつかって調査研究を行う(”吸血鬼”と悪口をいう人がいる)、(3)病院をたてる(”箱もの”援助といわれている)の3つに分けられると思う。しかし、今一番必要とされているのは、相手国の政府内にいて、医療健康政策の立案や遂行を行うことができる人なのである。それなら厚生省の人が一番いいのではないか、と思われるかもしれないが、臨床現場を知っていることが必須条件でもある。優秀な語学力や作文能力に対抗できるのは、実際の医療現場でおこなわれていることをしっかり見据える力以外にはない。こう書くと、いかにも日本は国際医療協力において他の先進国と比べてハンディをおっているように聞こえる。しかし、むしろこれからは国際医療協力において日本に大きなチャンスがあるのではないか、と思えるのである。その理由はつぎのようなものである。
 第一に、これまでの欧米を中心とする国際援助は、結局これまでの植民地と宗主国の間の関係が前提としてあり、政治的には独立したものの、経済的、人的にはかつての宗主国を主軸にした援助体制が続いていることにある。世界の主な援助国の協議機関であるDAC(Development Assistance Committee)に参加している22ヵ国のうち、欧米以外の参加国は日本だけである。GNP規模からすればマレーシアなどより小さいポルトガルがDAC加盟国になっているのは、かつての植民地(モザンビークなど)への援助を期待されているからであろう。かつての宗主国と植民地の関係は深い。たとえばガーナにおいては、イギリスの影響は大きい。しかしガーナのエリート達と話をしてみると、イギリスに対する彼等の想いは複雑である。ある保健省の課長は、「日本人はわれわれと対等に話をしてくれる」といって暗に欧米の援助国の父権主義的な態度を批判していた。自助努力をして独立したいと彼等の気持ちのなかには、親から独立したい青年期の心理と共通するところがあるのではないだろうか。その点、日本に対してはそのような歴史的な関係がなく、フランクに交渉できるというのだ。JICAがチームごとガーナ保健省の中に迎え入れられたのと対象的に、アメリカのUSAIDはもう自分達でやるから、コモンバスケットにお金をいれてくれるだけでいい、口出しは結構といわれているのである。この対等性は今後の国際協力のカギになるかもしれない。
 もう一つは、日本のファジーな人間関係である。欧米の合理的な人間関係のとらえかたは、国際協力の計画立案実行のプロセスに反映している。文化、歴史の違いをのりこえるためのさまざまな手法(Project Cycle Management, Project Design Matrixなど)は、確かに合理的ではある。ガーナ保健省の役人は楽々とこれらの方法にのっとった立案書を作ってみせる。これらの書式にしたがってかかれた計画書は、日本の役所の書類よりずっと合理的で明快である。ガーナ保健省のエリートにとっては、自らの思考経路をそのまま記したようなこれらの方法論はすっきりなじめるであろう。しかし、地方レベルでは、ものごとはすっきりと合理的には動かないことも多い。問題点を明示して議論を重ねて解決するのが基本であるが、なかにはむしろ明示せずに合意点をさぐる方がうまくゆく場合もあるのではないだろうか、と思うのである。
 国際医療協力の理念には、先に述べたように欧米先進国の植民地経営時代の歴史が反映されている。さまざまな耳に快いスローガンや協力の原則も、実際に運用されるときには、そのような歴史的な拘束を免れない。私たち日本人は、横文字で語られ記述されるさまざまな国際協力用語に弱い。self-sustainabilityかcommunity participationなどの医療協力の原則が声高に唱えられているが、これは要するに「かつての植民地でおこなったような上意下達の医療行政方法はだめだよ」といっているにすぎない。こういう私も、そういう用語にふりまわされている。理念を文章化する能力(ましてや外国語で)では、日本は欧米にはかなわない。しかし限られた資源を集約的に利用して、疾病の予防や治療を効率よく全国規模でおこなうことについては、日本にはそれなりの蓄積がある。少ないスタッフで、たくさんの患者を診てきた臨床医のノウハウはうまく翻訳すれば発展途上国でも有用に違いない。
 最近JICAはプライマリーヘルスケアの分野における日本の国際医療協力のガイドラインを作成した。べつに何でもないことのように聞こえるかもしれないが、じつはこれはJICAの中に大きな変化がうまれつつあることの一つの現われなのである。これまで、JICA自身は、国際医療協力を行うにあたっての基本方針をもっていなかったのだ。唯一「要請ベース」の援助、つまり被援助国から援助要請があってから初めて、プロジェクトが始まる、という大原則はあった。もちろん何もしないで要請があがるのを待っていたばかりではない。援助案件の発掘調査というのがあり、被援助国に調査団を送って援助を必要としている分野を調べる、ということはやっていた。医療分野では少ないが、この発掘に日本の大企業がかかわっていることはよく知られている。日本の大企業が、被援助国の政府の代わりに要請書を書き、それを政府がJICAに提出し、そのプロジェクトを日本企業の本社が受注するというものだ。発展途上国に与えられた援助は、結局日本の企業の懐におさまる、という図式だ。JICAでも、被援助国でもなく、日本企業の方針でプロジェクトが形成される、ということになる。そこに日本の税金を原資とするJICA自身の方針はない。しかし前述のように、やっとJICA自身が方針を持つようになってきたのだ。
 このように日本のODAの予算は減少してきたとはいえ、世界最大の援助国である日本が、さまざまな理由から、国際援助の世界で質的な変化をとげつつある。小児科分野に限ってみても、箱ものや器材供与を中心とした従来の援助形式から、今回ガーナで始まったプロジェクトのような「住み込み」方式が次第に主流になってゆくだろう。国際医療協力の経験のある医師や、将来国際医療協力を専門としたい医師も増えつつある。まえに述べたように、私たちは日本の特質を生かした医療協力を作り上げる好機にいるのである。
        (さかきはら よういち・昭和51年入局)1998.3

Edited by Yoichi Sakakihara