育児と国際協力      榊原 洋一


  以前なぜ小児科医になったのか、と聞かれた時、私はこう答えていた。「それまでの生活習慣が原因であることが多い大人の病気と違って、子どもは自分で病気になったのではない。子どもに責任はない。そんな子どもの手助けをしたいから。」
 いまはそんなにすっきりと答えられない。心変わりしたのか、と自問してみてもすぐに答えはでてこない。しかしなぜここ数年間「育児」と「国際協力」が私の関心の中心に位置を占めるようになったのか、よくよく考えてみると、結局同じことを追い求めてきたのではないか、と思えるようになった。
 「育児学」なんて二流の医者がやることだといった風潮がある、と最近ある本に書いたことがある。実際に育児支援にかかわっている人や、現に「育児」の専門家といわれている人からは、強い抗議がでるかもしれない。乳児健診、発達検診、そして日常の診療のなかで、育児学は小児科学の通奏低音のように、鳴り響いている、と。しかしそれではなぜ、小児科の講義にも教科書にも「育児学」がなく、小児科学会学術集会にも育児のセッションがないのだろうか。かつて子どもの命を奪っていたさまざまな病気は、医学の発展と医療サービスの普及によって影をひそめた。その結果、多くの小児科医、小児医学研究者の興味、関心は、残った数少ない「難病」に向けられているかのように見える。難病はかつては、下痢症であったり、肺炎であったり、ポリオであったりした。そして現在は、ますます数少なくなったいくつかの疾患がターゲットになっている。これは病気という現象の背景と成り立ちを追及する自然科学としての小児科学の当然の成り行きだ、という人もいるかもしれない。しかし実はこれは日本の小児科がたまたま歩んだ歴史的な成り行きなのだということに、最近気がついた。
 江戸から明治初年にかけて、鎖国時代の遅れを短期間で取り戻そうと留学生を欧米に派遣するとともに、優秀な外国人を雇用した。これらの「お雇外国人」への給料は大臣以上であったというから、いかに西洋の科学知識、技術を貪欲に吸収しようとしたかがわかる。留学生を送るだけではあきたらず、明治4年からは岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、木戸孝允などの維新政府の中枢をにいた人を含めて50名以上の使節団を、約2年間送りだしたのである。すでに明治維新から4年を経過していたとはゆえ、まだ行方の定まらぬ明治政府の中心人物たちが、2年間も国を空けて欧米各国の科学技術や社会制度の吸収に自ら勤めたのである。小児科学も含めた医学についても例外ではなかった。東京大学小児科の弘田先生もドイツに留学したが、渡欧前は外科学を専攻するつもりだった。しかし、小児科学教室を設立する必要があることから、急遽小児科学を勉強するように命ぜられたという。欧米の医学を何がなんでも吸収しよう、という当時の焦燥の思いが伝わってくる。限られた人材、予算、施設をフルに動員してまず第一に追及されたのは、子どもの命を救う、治療医学(curative medicine)であったことは想像に難くない。最終的に日本の小児科医が範として選んだのもドイツの小児治療学(Kinderheilkunde
)であった。そして西洋医学の吸収とともに、それまで日本の医学界の中心であった漢方や儒学の伝統は(少なくとも小児科医の頭から)意図的に忘れ去られたのではないだろうか。
 江戸中期に香月牛山(かづきござん)という儒医がいた。彼の著わした本に「小児必要養育草(しょうにひつようそだてぐさ)」というのがある。6巻からなるこの育児書は1〜2巻が誕生、生育、養育論が述べられた後に3〜5巻に諸病についての記載があり、最後の巻に教育について述べられている。諸病についての記載が多いが、その大部分はその当時最も恐れられていた天然痘についての記載が大半を占めるためである。現在ほど病気に関する知識もなく、治療法なども限られていたという事情はあるにせよ、当時の小児科医の関心は、病気自身というよりも、子どもを心身ともに健やかな社会人に育てるということにあったことがうかがわれる。ほぼ同じころ、フランスではルソーが「エミール」を書いていた。ルソーは医者ではないが、「エミール」の前半は育児書である。ミルクの与え方、乳母の選び方などこと細かに記載されている。周りの影響を受けやすい敏感な子ども時代をどのように育てるかが、世の中を変革するための最重要な哲学的な課題であったのである。フランス革命の精神的支柱となった思想家の子育ての重要性の認識は、現代のフランスの小児科にも生きている。まず「育児学」にあたるフランス語 puericultureがある。pueriは「子どもの」という意味だから、puericultureはさしずめ「子どもの修養」といった内容の言葉である。英語には一語で育児学を表わす言葉はない。この育児学は、フランスの大学では、小児内科学(つまり狭義の小児科学)と並んで講座となっている。今から40年程前に、パリ大学育児学教授の著書を翻訳した山本(高治郎)先生は、「わが国では「育児学」は、花嫁学の一つ程度にしか解されていないが、病児を扱うことを主眼としてきた在来の小児科学の拡張された概念と解されるべきである。」と書いている。花嫁学云々については、適切な表現ではないかもしれないが、40年前も今も基本的には育児学のおかれた立場に変わりがないことを示している。
 さて私たち日本の小児科医の多くが、戦後お手本にしてきたアメリカでは、小児科学の隆盛とは裏腹に、「育児」においては失敗しているといわざるを得ない。最近アメリカ医学会雑誌(JAMA)に、基本的にはアメリカと社会事情を共有するカナダの一都市(Hamilton)での小児虐待の実態調査の報告があった。小児虐待は、保護者と子どもの関係の破綻の結果であり、育児行為失敗の究極の形である。その小児虐待の「有病率」を調べたところ男児で30%、女児で20%と私たちには信じ難い程の高率であったという。育児学の成果が直接小児虐待減少に結び付くほど問題は単純ではないが、フランスでは小児虐待は80人に一人(1〜2%)と報告されている。
 今、40年前から「冷遇されてきた」育児学にも、それが「小児科学の拡張された概念」となるべき時がきているように思われる。遺伝子治療や移植医療といった先端医療も大いに研究されているが、それが医療的なインパクトを十分持つに至っていない現在、世界的には人口増加、環境汚染、エイズなどの新興感染症の増加などの問題が、個人の問題ではなく人類全体の問題として持ち上がってきている。このような時代に生きて行く子ども達に私たちが何を期待し、何を与えられるかが問われている。背景は異なるものの、ルソーが「エミール」を書いたときと似ているのかもしれない。
 さて育児を文化的あるいは科学的に捉えるための基礎知識や技術についても、近年飛躍的な進歩が見られる。認知科学、認知心理学などの発達により、従来検証できなかった乳幼児と世界とのかかわりが実証的に理解できるようになってきた。またヒトと最も近い類人猿の行動研究から、育児という行為の進化論的な理解も深まっている。これらの知識と技術を使って、これまで経験論的にしか解釈されなかったさまざまな育児文化、行為などを「子育ての科学」として再検証するべき時がきているのではないだろうか。1997.12


菱 俊雄