家族指向型医療と家族管理指向型医療

              埼玉医科大学総合医療センター小児科教授  田村 正徳




§緒言
 新生児医療の進歩により20世紀最後の四半世紀には超低出生体重児の生存率は20%から80%以上へと急速に改善した。その結果NICUでの早産児の平均入院期間が延長する一方では、超低出生体重児の神経学的後遺症も、従来の発達遅延、脳性麻痺、失明だけでなく学習障害や多動などの行動学的異常が珍しくないことが明らかとなってきた。早産児を出産した母親は喪失感、失敗感、わが子への罪悪感に苛まれており、出生直後からの母子分離による親子の「絆」形成の障害と我が子の死や障害に対する恐怖心が相まって養育障害に陥る危険性が高いと言われている。育児不安の増大や負担感、困難感は、NICU退院後の被虐待症候群という悲劇の誘引にもなりえる。
 こうした新生児医療の陰の部分への反省から、NICUを単なる救命の場でなく、未熟性に対応した育児と母子相互作用を中心とした家族関係の形成の場としてとらえ直そうという試み(Developmental Care)がわが国でも急速に広まっている。

§長野県立こども病院新生児病棟における家族指向型医療

 当院は2000年9月25日に全国で10番目の総合周産期母子医療センター施設として認定された。それ以来1年間に37名の超低出生体重児(出生体重1000g未満)がNICUに入院したが死亡例は1名のみで、430gの児も含めて97%以上の超低出生体重児が生存退院できた。これは全国の主要NICU施設の中でもトップクラスの成績である。しかしそれ以上に私が誇りに思うことは、我々のNICUのスタッフは1993年5月28日のこども病院開院以来家族指向型医療を実践してきたことである。具体的には、ご両親は新生児病棟入院中の赤ちゃんに24時間自由に面会することが出来るし、医療スタッフにいつでも赤ちゃんの病状の説明を受けることが出来る。これは、広い長野県下から搬送されてきた赤ちゃんに勤め帰りのお父さんが気楽に面会に来ていただくことと母乳栄養を推進するために看護スタッフと医師スタッフが話し合って決めたことである。今でこそ面会時間の制限の無いNICUは珍しくなくなったが、当時は、感染症の持込から赤ちゃんを守るためと称して、実際は多忙な医療スタッフの管理上の都合から24時間自由面会にしている施設は見あたらず、お母さんですら制限時間内にガラス越しの面会しか認められない施設も多かった時代である。また院外で分娩立会いした場合は、赤ちゃんの蘇生処置が落ち着いた時点で、お母さんとお父さんに赤ちゃんと面会してタッチングと声かけをしていただいてからこども病院に搬送するようにした。
 NICUは長期入院児にとっては治療のみならず生活・成長の場でもある。機械づけのNICU環境から過剰刺激を排除し、未熟性に対応した胎内環境に近づける工夫をしてきた。モニターの心拍同期音は消し、警報音も出来るだけ優しいメロデイとした。部屋の照明も必要最小限とし、日夜のリズムをつけるようにした。保育器の中の赤ちゃんも急性期を過ぎれば裸で剥き出しにせず、薄い肌着かガーゼで覆って赤ちゃんが落ち着いて眠れるようにした。理学療法士と相談して、赤ちゃんができるだけ良肢位を保てるようなおくるみを開発した。NICUで医師が救命のためにと考えて行う診察や検査や処置のほとんどは患児にとってはストレスの多い行為であることを自覚して、負担の少ない順序で進め、まとめて行って安静時間を設けるように配慮している。聴診器やレントゲンフィルム板なども予め保育器内で暖めておいてから使用する。検査やモニターも出来るだけ侵襲性の少ないものを選んでいる。
 長期入院児にとってはNICUも育児の場であり、家族関係の形成の場であるという発想から、家族特に母親をケアチームの一員として取り扱い、母親が望むときにいつでも患児の側にて、スキンシップができるようにAT HOMEで居心地のよい環境を整え、タッチング・声かけを推奨している。スタッフは禁止ではなくて、「これは出来ますよ」とタッチングや授乳やカンガルーケアーなど家族が病児にとってかけがえのない存在であることが実感できるような機会を積極的に提案するように努めている。これは特に、母親の心理的ストレスの軽減となるようで、「無力だと思っていた自分が子供のために何かしてあげられる」と母親としての自信につながっている。つまり、NICU内育児に参加することで、親自身が、子を育てる親として成長し、母子相互作用が好転するわけである。
 こうしたケアを個別の症例と家族に合わせて行えるように、総合周産期母子医療センター施設の認可を受けるために新設した新生児病棟では、北アルプスを臨む一番見晴らしの良い場所に、3家族が同時にプライバシーを守られながらカンガルーケアや直母授乳を行うことの出来る部屋を設置した。この部屋では人工呼吸をしている赤ちゃんでもご両親が心ゆくまでカンガルーケアを楽しむことが出来る。
 また総合周産期母子医療センター化に伴い、現在の医療では救命困難な重篤な奇形や先天代謝異常の赤ちゃんが入院する機会も増えた。ご家族がそうした我が子との最期の大切な時間を誰にも気兼ねすることなく過ごしていただくためにターミナルケアの出来るファミリーケアルームを設置した。ユニットバス・トイレ・ミニキッチン・応接セット・家族用ベッドを備えたこの部屋は病棟のスタッフゾーンに隣接しているので、両親・祖父母だけでなく、兄姉も滞在することができる。この部屋の中での治療内容は家族の希望を最大限尊重するが、奇形児や障害児の切捨て医療にならないように、基本的には人工呼吸や点滴を中止したりはせずに、別室の中央モニターで患者のバイタルと治療内容を主治医と担当看護婦が監視しながらいつでも臨機応変の対応が出来る体制をとっている。CTRが100%と高度の心拡大を伴うEbstein奇形と出生前診断され、手術成功の可能性が極めて低いと心臓外科医から説明されて、ご両親は手術を受けずにターミナルケアを選択されていたが、ファミリーケアルームで患児を可愛がる3歳の姉の姿をみて急に手術を希望されるようになり、運良くStarnsの手術が成功して退院まで漕ぎ着けた事例があった。この事例からも私は、安易な“看取りの医療”には反対で、小児科医として救命の可能性はぎりぎりまで諦めてはならないと考えている。そこまでの努力をした後のターミナルケアであればこそ、家族も「見捨てられた」という想いを抱かずに“看取り”に専念出来るのである。そのような経過を経てファミリーケアルームで“看取り”をされた御家族が退院後にお寄せ下さった感想をいくつか転載させていただく。_「川の字で寝て、やっと親子になれた気がした」
_「家族でお話しながら、ゆっくりお別れが出来た。」
_「こんなに穏やかな表情でお別れが出来るとは思っていなかった」
_「最期の時を共有できて、家族の絆が強まった」
_「あのままNICUで亡くなっていたら、ずっと悔しい想いを引きずって立ち直れなかったと思う」


§家族指向型医療に先進的に取り組んでいた東大小児科で教えられたこと

 こう挙げていくと東大小児科の多くのスタッフは、「なんだ家族指向型医療とはそんなことか!それなら東大小児科ではずーっと昔からやっている当たり前のことではないか!」と思われるであろう。そのとおりである。本来技術指向型人間であった私が、日本の総合周産期母子センターのモデルといわれるようなシステムを作り上げることができたのは、東大小児科時代に家族指向型医療を叩き込まれたおかげである。不治の病や慢性疾患で長期入院患児の多い東大小児科では、病棟は、こどもにとって生活・成長の場であり、母子相互作用を中心とした家族関係の形成の場であることがはっきりと認識されていたので、病棟の主人公は医師でも看護婦でもなく患者さんとその家族であった。その立役者は、「めだかの学校」とそれを支えた常勤医会議であった。処置室では、点滴におびえ骨髄検査に泣き叫ぶ子供たちも「めだかの学校」では、みんな生き生きとして三上さんのピアノに合わせて合唱し、安藤さんに導かれて上野公園までのお花見に参加した。その中には、主治医に人工呼吸のバッグを押してもらっているWerdnig Hoffmann病のやっ君やもっ君がいつもいた。「めだかの学校」が主催する四季おりおりの行事には多くの家族も参加して、親御さんは「自分が子供のために何かしてあげられる」と実感することが出来たし、それを一緒に喜ぶ青年医師達があった。医師達は「めだかの学校」の活動を通して、病苦と不安に苦しんでいる患児と両親に、同じ目線で共感する事が出来た。まさに、「めだかの学校」こそが小児科の医療スタッフにとっても患者指向型・家族指向型医療を学ぶ場として機能していた。「めだかの学校」に集う若手医師と工学部の学生達は、気管切開されているやっ君が意思表示する装置を開発し、それを使ってやっ君は作曲活動までするようになった。まさに東大小児科病棟では、個々の患児と家族の個別性を重視したケアが「めだかの学校」が中心になって実践されていた。
補修に補修を重ね、暖房設備が窓から飛び出した旧小児科病棟は、みかけはおんぼろ病棟ではあったが、厳しい条件のもとで“少しでも患者さんやご家族に寒い思いはさせまい“というスタッフの心意気が感じられた。大学病院の独立法人制が叫ばれる中では、非採算部門の小児科が予算面で厳しい立場にあるだろうということは想像に難くない。その中で、あの無機質的な新病棟を患者さんや家族にとって居心地のよい環境に変えるには、スタッフの並々ならぬ覚悟と努力が要求されるであろう。家族管理指向型医療などという時代錯誤的な医療に陥らぬように、若手の医局員諸君が真剣に家族指向型医療に取り組んでくれるように切に祈念する次第である。

(たむら まさのり・昭和49年入局 埼玉医科大学総合医療センター小児科教授)
2002.7「東大小児科だより」56号より


菱 俊雄