ガーナより      榊原 洋一

 ガーナという国が私にとって特別な意味を持つようになってすでに5年が経過した。JICAがガーナで新しい母子保健関係のプロジェクトを行うために、誰か母子保健のことが分かる人に行ってもらいたいということで、現在大阪大学にいる中村安秀先生に声がかかったが都合が悪く、私にお鉢が回ってきたという全くの偶然から私のガーナとのつきあいは始まった。そのプロジェクトもすでに3年目に入り、こうして今私はガーナとの首都のアクラのホテルの一室でこの文を書いている。
 すでにこの5年間にガーナには7回も足を運んだことになる。現在行われている医療従事者のインサービストレーニング(日本ではいわゆる卒後教育にあたる)の整備プロジェクトだけでなく、母子保健関係の病院や保健センターへの医療器具の無償供与プロジェクトにも関わるようになっている。
 ガーナというと多くの日本人にとっては、チョコレートを思い出すくらいの国かもしれない。という私もその程度の知識しか持っていなかった。日本の医師の先達について興味のある人は、ガーナと聞くと野口英世を思い出すかも知れない。アメリカロックフェラー研究所の新進気鋭の細菌学者として、蛇毒についての大著の著者であり、進行麻痺患者の脳からスピロヘータ病原体を初めて分離した彼は、当時のノーベル医学賞の最右翼候補とさえいわれていた。そのヒデヨノグチが、新しく作り上げた黄熱病菌のワクチンを引っさげて、黄熱病が  をきわめる赤道アフリカのガーナまで乗り込んできたのだった。しかし残念ながら時代は彼に味方しなかった。まだウイルスが発見されていない時代の野口英世にとって、黄熱病菌をターゲットにしたワクチン研究を成功させるチャンスはゼロであった。自ら開発したワクチンを接種したにも関わらず発病した彼は、アクラ郊外のコレブ病院の研究室で、「I do not understand」という悲痛な言葉を残して世を去るのである。
 コレブ病院はガーナ最大の大学病院であり、この国における医療の最先端を行く病院ということになっている。もっともガーナには医学部は2つしかないのだが。コレブ病院の敷地の片隅には野口英世の胸像が立っているが、日本から遠く観光資源にも乏しいこの国には訪れる日本人もあまりいない。現在でさえ日本からヨーロッパ経由で乗り換え時間を除いてジェット機で20時間もかかるのだ。日本から太平洋を越え、さらにアメリカ大陸の反対側のニューヨークから大西洋を超えてガーナに辿り着いた野口英世にとって、まさに地の果てに来た気持ちであったろう。その彼を支えた強烈な自信を喪失したままこの世を去らなければならなかったのだ。
 ガーナにはコレブ病院の他に、基礎医学研究を行う研究所がある。JICAの援助で運営されてきたこの研究所は、日本でいえば医科研にあたるが、野口研究所といわれている。現在でも日本から研究者が交代で来ており、アフリカにおけるエイズを初めとする感染症研究のセンターになっている。もしあの世があるのだとすれば、失意のどん底でこの世を去った野口英世の霊も少しはほっとしているかもしれない。
 今年だけでも私はガーナに3回来ているが、そのうち2回はガーナ南部の3つの県の保健センターと県病院に、母子保健関係の基礎医療器具を供与するプロジェクトの調査が目的であった。ガーナを初めとするサハラ砂漠の南側に位置する国々は、現在世界でもっとも貧しい国々である。国民所得が年間200ドル前後のこれらの国々は、世界中からの援助なしではやっていけないのだ。コンサルタント会社の病院評価の専門家5人と一緒に、保健センターや県病院を駆け足でまわったが、発展途上国の医療機関の現状に慣れていたはずの私もほとんど絶句したくなるような状況を目の当たりにしなければならなかった。保健センターというと聞こえは良いが、ほとんどが粗末なほったて小屋に仕切りをつけただけのような設備だ。第一電気が来ていないところが大部分なのだ。当初保健センターに配備する予定であった胎児心音計や吸引分娩器は電池式と手動のものに切り替えなければならなかった。県病院もベッド数は50〜100位あるが、医師数はせいぜい数名であり、なかには1人というところさえあった。そこでその医師は外来だけでなく手術も自分ひとりでこなさなければならないのである。ガーナの厚生省(保健省とよんでいる)の医師配備計画を非難することは容易だが、せっかく国内で教育した新卒医師の過半数が国外(イギリス、アメリカ、南アフリカなど)に出稼ぎに行ってしまうガーナでは、これもどうしようもない現実なのだ。現在ガーナの人口は約2000万人であり、その6倍の人口のある日本の医師数(24万人)から計算すれば、4万人位医師がいてもいい計算になるが、その20分の1の2000人しかいない。「人はみな平等にうまれた」とか「人の命は地球より重い」という理念の正しさはよく分かるけれど、現実は全くそうではないという事実も直視する必要がある。
 ガーナはアフリカの近隣諸国のなかで例外的にHIV陽性の人の比率が低い国である。とはいってもそれは一般国民の5%になる。乳児のエイズはもちろんのこと成人のエイズに対してもガーナでは、AZTやDDIによる治療は行われていない。前述のように医師や医療機関の絶対的な不備も一つの要因であるが、一番大きな理由は薬のコストだ。平均年収200ドルの国民にとって、医療保険制度もないガーナで、上記の薬を使うことは不可能なのである。先般アフリカで、高価格の最新医薬品を発展途上国で使えるようにできないかと検討する国際会議が開かれた。人道的な立場から、なんとか世界中の大きな製薬企業がそういった薬の定価を下げることはできないか、真剣な議論がなされたという。製薬会社の代表者も参加したこの国際会議の結論は、残念ながら「人道主義も資本主義経済の原則を超越はできない」というものだった。要するに開発やマーケティングに莫大なコストがかかるエイズの薬は値引きできません、というのだ。ソビエトを初めとする共産主義国家の崩壊は、資本主義の正しさを証明した、といわれている。しかし、治癒効果はなくとも延命効果の認められている抗エイズ薬が買えずに死んでいってしまう発展途上国の人々は、資本主義経済の犠牲者ではないか、などと物騒なことを考えたくなってしまう。ヒトゲノム計画による人間の遺伝子解析の発展は、医学に新しい世紀をもたらしつつある、といわれる。しかし、現実はそういった最新医学の恩恵を享受できるのは地球上にいる60億人のうちどれだけいるのだろうか?
 そんなことは一臨床医が考えるべき性質のものではない、という声も聞こえてきそうだ。臨床医は目前の患者さんの診療に全力を傾けるべきだ。新しい病気を見つけたり、遺伝子異常を研究することが本分である、と叱られるかもしれない。しかし医療の最前線にいる臨床医だsからこそ分かる患者や病気の真実もあるはずだ。臨床の立場という底辺からの言葉に飲み込まれている真実を世に問いかけてゆく必要があるのではないだろうか。横文字であまり馴染めないけれど、それも小児科医のアドポカシーなのだ。
 ガーナの保健センターの視察で勇気づけられる経験をしたので最後に紹介したい。ガーナの中部にあるプロングアハフォ県にある保健センターを訪れたときのことだ。もともと訪問の計画はなかったが、私がどうしてもその県の保健センターを見たい、と所望した結果、移動経路の途中にある一保健センターに立ち寄ってくれたのだ。職員は看護婦数人のガーナでは一般的なセンターだったが、説明してくれたのは30代の身長が180センチくらいある大柄な婦長だった。主に助産活動について説明してくれたが、数少ない医療器具は、狭くみすぼらしい診察室ではあったが、すべてきちんと消毒され整頓されていた。ユニセフから寄贈された吸引分娩器なども見せてくれたが、プラスチック製の貧弱な器具を何度も消毒しながら大事に扱っていることが良く分かった。分娩室にはさびた古いベッドが分娩台としておかれていたが、部屋の壁一杯にそこでお産した母親から寄せられたたくさんの母子の写真が貼られていた。「この子どもは皆私がとりあげたんです。これまで私がここにきてから出産に関わる大きな事故は一度もありません。この写真は私のプライドです」と白いきれいな歯を見せて本当に嬉しそうに語っていた。この最新医療からはるかに取り残されたガーナの片田舎で、医療に関わることの幸福を噛み締めている人がいる、という事実は、どう見ても決して明るいとはいえないアフリカの医療の未来を照らすひとすじの光明のように思われた。
(さかきはら よういち・昭和51年入局 東京大学医学部小児科講師)
2000.9「東大小児科だより」56号より


菱 俊雄