母性神話      榊原 洋一

小児科たより本号で「ガーナ」について一文を書きながら、またここに一文をものそうとするなんてけしからん、とお叱りをうけそうだが、本来ここに寄稿することになっていた人が締切になっても書けない、ということで、普段から原稿を書くことの早い(ということは内容のない文章を書いている?)わたしに何か穴埋めをするようにということでこうして書いている。お許しを。
 さてタイトルの母性論争は、育児にかかわっている人なら多分ご存じのことと思う。ことの発端は、最近マスコミをにぎわせている「キレやすい17歳」の起す凶悪事件、学級崩壊と、増加の一途をたどる小児虐待あたりにあるのだと思う。学級崩壊を起しているクラスで、崩壊の引き金になっているとされる子どもたちは、おしなべて「耐性」がなく、基本的生活習慣のついていない子どもたちである、という。なぜ昔はいなかったそういう子どもたちが増えてきたのだろう、と考えるのは人情というものだろう。そこで「耐性がなく、キレやすい、基本的生活習慣のついていない子ども」が増える原因としてクローズアップされてきたのが、「乳幼児期のしつけ」の失敗と、「社会のもつ教育力」の低下であるとされている。乳幼児期のしつけについては、決して昔のほうが厳格できっちりしていたという証拠はないという意見(「日本人のしつけは衰退したか」広田照幸、講談社現代新書)がある一方、「家庭のかつての教育力が壊滅状態であること」(「学級崩壊をどうみるか」尾木直樹、NHKブックス)が学級崩壊の原因である、と言い切る教育専門家もいる。子どもが社会で生きて行くための経験をする空間が減少したことが、社会性のない人間嫌いな子どもが育つ一因であり、子どもがのびのびとあそべる空間を確保することが重要だと指摘する社会学者もいる(「子どもの社会力」門脇厚司、岩波新書)。
 そして家庭での教育力が低下した主犯と目されて登場するのが、母性(本能)なのである。母性が崩壊したことが、子ども放任や虐待につながり、それが最近の子どもたちの耐性のない性格を作り上げているというのだ(「母性の復権」林 道義、中公新書)。
 ではなぜ母性が崩壊するのだろうか? そこで登場する理論が、私たち小児科医にはおなじみのボールビーに端を発し、クラウスとケネルによって実証されたとされる「アタッチメント理論」だ。母子愛着関係が成立しないことが、家庭での教育力の崩壊の遠因であるということになる。クラウスとケネルが観察したことは、出産直後に母児同室でなかった母親が、母児同室の母親に比べて子どもに対して疎遠な育児態度をとる、ということだった。クラウス、ケネルらが論文や著書を発表したときは、清潔や医療処置のやりやすさから、母児別室があたりまえだったが、クラウスらの考え方は出産という行為を母親の手に取り戻す運動の理論的支柱として歓迎された。そして現在でもその考え方は大方の支持を受けていることは周知のことだ。

 しかしクラウスやケネルは、疎遠な育児態度をとる母親に育てられた子どもが、どんな子どもに成長して行くのか見届けたわけではないのである。観察期間はせいぜい3歳ころまでなのだ。それにもかかわらず、母児別室で新生児期を過ごした子どもと母親の愛着関係が機能不全を起す、ということが暗黙の了解のもとに一人歩きしている。その一つの理由は、クラウス、ケネルがその研究論文の考察の部分で、「出産直後にヤギの子どもを母ヤギから数時間引き離すと、そのあと母ヤギのところにその子ヤギを連れて行っても、育児行動をしないどころか、けっとばしたり、つきとばしたりする」ということを引き合いにだしたことにある。たしかにヤギはそうだろう。しかしヤギは離巣性の動物であり、生まれた直後から歩いてそばにいる親(通常母親)のあとをついて移動する動物なのである。出生直後に母子のあいだにお互いを認識することは、子ヤギにとっては死活問題であり、進化の過程で出生直後の強い母子愛着関係を結ぶようになってきた、と考えるべきなのである。
 しかしこのヤギの母子関係をお手本にした考え方が、日本の多くの育児関係者の頭に染み着いてしまっている。最近はさらに、新生児、乳児の行動学の発達で、新生児出産直後の一時期に見られる「意識清明状態」が、母子愛着関係成立のカギであるといった根拠のない「仮説」が主張されるまでになってきている。根拠がない、というのは辛辣すぎるかもしれないが、とにかく最近流行のことばでいうとエビデンスベーストの研究はないのだ。新生児の「意識清明状態」に母子が肌をふれあい、授乳をすることで母親の我が子に対する愛着心が刺激されることは事実としても、それがその後の母子関係や子どもの基本的生活習慣の成立に影響を与えることを科学的に示したものがあったら見てみたい。アメリカの心理学者アイアーは、母子愛着関係(ボンディング)についての研究のレビューを行い、クラウスらの結論を批判している(「母性愛のまぼろし」大修館)が、日本では多くの小児科医がその理論を現在でも金科玉条のごとく信じているようなのである。最近わたしが編集委員を努める育児雑誌に、開業しておられる小児科医から投稿があった。内容は「出産直後の愛着関係の不成立がその後の小児虐待の原因だ」というものであった。わたしは編集委員の一人として困惑してしまったが、多くの編集委員の先生方は、あたりまえの結論、と考えておられるようだった。
 最近は母性論に加えて「3歳児神話」が育児関係者の間で大きな論争を呼んでいる。論争になった理由は、一部の育児関係者にとっては自明のことであった「3歳児神話」を厚生白書が「根拠がない」として否定したことだ。しかし冒頭のキレやすく耐性のない子どもの増加という事態が、再び「やはり3歳までは母親が子育てを行うべきだ」という方向に振れ始めている。ただこの論争がいままでと一味違うのは、最先端科学を担う脳科学者までが参加していることだ。その代表者が、意識を支える脳の構造について斬新なアイデアで精力的な研究を続ける澤口俊之氏である。「わがままな脳」などの一般向けの啓蒙書をたくさん書いている澤口氏であるが、最近「幼児教育と脳」(文春新書)という脳の発達と育児についての本を出した。そのなかで知性をささえるフレーム構造の発達のためには、母親が子育てをする必要があるという理論を展開し、「少なくとも生後8歳までは母親は家にいること!そして適切で豊かな愛情を(子どもに)そそいで欲しい」と結論している。
 子育てに深くかかわらざるをえない小児科医は、こうした論争にどのように臨むべきだろうか?
 (さかきはら よういち・昭和51年入局 東京大学医学部小児科講師)
「東大小児科だより」56号より2000.9


菱 俊雄