1998.7.2

7月
 

 1年中で最も好きな7月がとうとうやってきた。物心ついてから7月が一番好きで、それは大人になっても変わらない。
 考えてみれば7月は梅雨の影響でカラッとした日は少ないし、湿度の高い日本は快適とはいえない。それでも7月が大好きなのは「夏休みがもうすぐ!!」という極めて脳天気な理由なのだ。
 そして夏ともなれば私にとって美味しい果物が山のようにある。桃にスイカに葡萄に李などなど、セミの声をBGMにしてTシャツをべったべたに汚しながら食べおわったとき、夏のにおいを無性に感じた。そういう子ども時代がたのしくてたのしくて、それがず〜っと大人になっても終わらない。
 子どもの頃に感じたことは大人になるとあっと言う間に忘れてしまう人もいる。人と話をすると、子ども時代のことをすっかり忘れている人や覚えていない人が結構多いことに気付く。子ども時代を引きずって生きる人とそうでない人が、どうしているんだろうか?私なんて、子ども時代のホントにくだらない出来事で自分がしょげたりいい気になったことを事細かに覚えていたりして、いい年して大人っぽさなんて全然ないナ。
 夏になってこんなに嬉しいのは、気候も、景色も、歩いている人達も、みんながなんだかぽわ〜んと楽しげで、子ども時代を引きずったまま大人になってしまった人間でも「浮かないから」っていう理由もあるのかもしれない。

1998.7.3

カラスとおじさん


 ある日、お昼ごはんから帰るとき、門の近くの道端でカラスが微動だにせず、じ〜っと1点を見つめていた。カラスの表情はなんだか異様にぼーっと弛緩していた。よく見ると、カラスの視線の延長上で、ひとりのおじさんがお弁当を食べていた。おじさんは石畳に段ボールを敷いて、優雅にランチタイムしている。カラスに気を使うわけでも、特別に接待をするわけでもなく、非常にマイペースにただお弁当のみ見つめて黙々と食べている。カラスも鳴くわけでもあばれるわけでもなく、なんだかおじさんに飼い慣らされているような落ちついた佇まいで、今どきのカラスにしては珍しく礼儀をわきまえている。
 その次の日、またお昼ごはんからの帰りに、昨日カラスがいた場所に、今度は黒ネコを見つけた。所定の位置で、昨日のカラスと同じようにやはり黒ネコもぼーっと弛緩した表情をしている。そしてその黒ネコの視線の延長上には、また例のおじさんがお弁当を食べていた。やはり黒ネコに対して気を配ることもなく黙々と食している。
 話はカラスのことに戻る。最近のカラスは「カラス様」っていう感じだ。それもこれも「山」なんて無くなってしまった都会に住む生活の知恵なのか、いい加減な人間たちと合わせて生きていくためにはカラスも自分を捨てなければやっていけないのか、アスファルトを悠々と散歩しているカラスにやけに遭遇する。
 去年の夏の朝、私はカラスのおかげで遅刻をしたのだった。マンションの前の道路で7羽のカラスがゴミをあさって道端で大っぴらに食べていて、完全に道はふさがれてしまった。情けない私はそこをどうしても通過することができず、数メートル離れたところでドンドンと足音をさせてみたりしたが、「ハン!なんだよ」っていう感じでカラスに嘗めきられて、その場所をどいてもらう器量も私にはなかった。ゆえに私は遅刻したのである。
 そして今年の夏。なんとしても、あのおじさんにカラスを黙らせる術を教わらなければならないだろう。優雅に品良く・・・・・。

1998.7.8

地下鉄のおじさん

 毎日、丸の内線を利用している。地下鉄はかなり息苦しい。外の風景を眺めることもできないし、本を読んでいなければ吊り広告を眺めるくらいしか楽しみもない。だからこそ、やたらに人々の話し声や行動が目立ったりする場所だ。
 ある日の朝、後楽園から乗ってきたおじさんがやけに「共鳴する口笛」を吹いた。おじさんの全身が管楽器と化していて、それはもうお世辞抜きに聴きほれる程の素晴らしい音色だったのである。
 でも正直言って、私はその音色を聴きたくなかった。突然、口笛や鼻歌が出てしまうことってあると思うけど、そういう時って、おだやかに晴れた空を見たときとか気持ちよく戸外をてくてく歩いているときとか、そんな時じゃない・・・?昼か夜かわからないような地下鉄の中で突然口笛を吹きたくなるなんて、変なの。きっとおじさんは自分の口笛が相当にグレードの高いことを知っているはずで、「よし、軽くお前らに聴かせてやるか」って感じなのだろう。こんな風に思う私ってかなりイヤな奴だけれど、どうしてもその時のおじさんの態度には人を素直な気持ちにさせない「何か」があった(ように思う)。
 おじさんはまず、「知床旅情」を吹いた。しかも間奏付きである。2コーラス終わり、続いてやたらに速い曲を吹いた。これは曲名がまったく不明なのだが、とにかく速くてかなり技巧的な曲であった。そして3曲目は何を思ったか、歌を唄いだしたのである。これも曲名は不明だが、恐ろしくビブラートがかかり、なんだかおどろおどろしい歌になっていた。その時、私は急にまずい状態になった。とにかく笑いたくなってしまったのである。このイヤな感じは共有できる同行者がいたら話をしてごまかすことができるのに、下を向いたままごまかすのは苦しくて苦しくてたまらなかった。その時間がそれはそれは長くて、たった数分が何時間にも思えるような時間だった。立ち直ってちらっと周りを見たけれど、みんな真顔で平気のへっちゃらだ。このおじさんの罠にまんまとはまったのは私だけだったようで、とても悲しかった。
 「地下鉄のおばさん」に続く・・・。

1998.7.10

地下鉄のおばさん

 本日は「地下鉄のおばさん」について書こう。いろんな人がいるけど、この人だけは何年経っても忘れられないという強烈なキャラクターのおばさんがいた。(最近、会っていない・・・)
 そのおばさんとは、数回、家の近所で会ったことがある。年の頃は40代後半。とても小柄でふくよかな体型、服装もクリーム色が基調で柔らかな感じ、小さなバッグを肩にかけている姿はどこから見ても「普通のひと」であった。そしておばさんは大変に気さくな人柄で、クリーニング屋のおじさん・警官・駅の売店のおばさんと誰にでも声をかけていた。朝早くから元気で、こんなご時世に珍しい人だなというのが最初の印象であった。
 それからそのおばさんの姿を電車(ある私鉄)で見かけた。するとおばさんは、高校生の男女に声をかけていた。その様子は、どう見ても「知り合い」ではなかった。その声のかけ方は尋常ではなく、話がかなり長くて、高校生の2人はホントーに迷惑そうであった。
 そしてまた数日後、今度はなんと、地下鉄の降車駅で見かけた。改札口でそのおばさんは、定期券も切符も通さずに改札を見事に抜けていった。この頃から、私の中でおばさんに対する興味がかなり大きくなっていて(一体なにをしている人なのだろう・・・)と想像を駆けめぐらせた。会う度に違う服を着ていて、こぎれいにまとめている。普通にしていたらまったく目立たぬ人なのに、おばさんの「素行」はかなり目立っていた。
 そんな風に興味を持っていると、やはりちょくちょく見かけるようになるのである。ある日の朝、地下鉄の中で見かけた。今度はかなり至近距離で半径2メートル以内になった。とても混雑している通勤ラッシュの時間であった。私の隣に立っている人の向こう側にそのおばさんがいた。混雑する電車が走り出した時から、私の耳はおばさんの声をキャッチしようと頑張っていた。そしてとうとう、おばさんが声を発したのである。私の隣に立つ人に声をかけた。
「ねっ、ねっ、あんた、男?女?」私は一瞬ぎょっとしたが、その隣に立つ人に気付かれないように下から見上げた。確かに、髪も短くお化粧をしていない風貌は、性別不明の雰囲気はある。もう一度、おばさんが「ねっ、ねっ、どっちなの?化粧しないと、あんた、男か女かわかんないよ」・・・・そんなことを言われてしまった女性は、気が弱いのだろう。小さな声で「・・・はい」と答えていた。本当に気の毒なひとときだった。
 それからこの奇妙な地下鉄のおばさんに会うことはなくなった。