合わせ鏡
とってもミーハーだけど、この数カ月の間、フジテレビの「めざましテレビ」とテレビ朝日の「やじうま新聞」の星座占いを必ず見ている。今までそれほど占いなんて執着しなかったのに、このところなんだか気になる私。
最初は何気なく見ていただけのテレビの占いだったのに、必ず見なければ気が済まなくなってしまった。朝の準備も、その占いの時間はテレビの前にいられるようにうまく時間を合わせている。
毎日見ていると、占いっていうものはますますとっても気になるものだということがわかってきた。2つの違う番組を見ているので、同じ星座占いでも全く違う結果になることがしょっちゅうある。そういうときは、どこかおめでたい性格のせいか、自分にとって都合の良かったほうを採り入れることにしている。
占いの結果がとても素晴らしかったとする。「今日はいいことがある!」って元気に歩いていると、やっぱりなんだか今日はいい日かも・・と思う(思いこみが激しいヤツ)。その調子でワクワクしながら通勤電車に乗り込むと、いつもの電車の混み具合なんかどうってことがなくなる。移り変わる車窓の景色もいつもより爽やかに、格段に美しく見えてきたりする。そしてそんな一日の終わりは、それはそれはいい気分で眠りについたりする。
しか〜し。そんな気分っていうのはなかなか続くものじゃない。ずっとこの調子でいければいいのだけど、やっぱり憂鬱な気分の日も突如として登場する。そしてそんなブルーの気分が顔を出してくるとあの元気さはなんだったのかな?っていうくらい、グレー色が頭をもたげてくる。そういう気分は自分が感じているよりも遥かに、接している人にも影響を及ぼすものである。
良い運気を身体いっぱいに受け止めているときは、発している空気も淀んでいなくて澄み切っているからなんだかとても気持ちがいい。その澄み切った空気が自分の周りにあるときは、なんだか周りの人たちも澄みきっているようなそんな気がする。もちろんこれは逆も言える。澄み切った空気の持ち主のそばに行くと、なぜか自分も澄み切ったような気がしてくる。ところが、あまりに淀んだ空気を自分が持っているとき、余りに澄みきった空気の持ち主に近付くと、途端に息苦しくなることもあるから要注意である。
そう考えていると、自分と自分を取り巻く周囲の人はいつでも鏡を見ているようなものだなと思う。できるだけ歪んでいない鏡を持ちたいし、歪んでいない鏡になりたいなと思う。
それと同様に、歪んでいない合わせ鏡を持ちたい。自分の裏側(内面)を自分自身できちんと点検できるような合わせ鏡は「私」を創るには重要なアイテムだと思う。
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