1999.2.4

「私のためじゃない」

 「物を見て歩く」ことが異様に好きだ。特にそれが「雑貨」となると、体力さえ万全なら一日中雑貨屋さんめぐりをできるくらい、好きでたまらない。それと同レベルで好きなのは「本屋」である。ベストセラーを読みあさるなんていう趣味は全くないし、偏見に満ちた読書をする私は、興味のないものは流行っていても読んだりできない。何万冊と溢れている本の中、インクと紙の匂いいっぱいの中、パッと目に飛び込んできた美しい装丁に出くわすと感動してしばらくその場を動けなくなる。私の場合、脳味噌を使って動いているのではなく、とにかく「感覚」でパタパタと動いているだけなのだ。
 そしてもちろん洋服を見ることも大好きである・・・と言っても、このホームページにもしつこいくらい書いているので鬱陶しく思う人もいると思うけれど(それでも書いてしまうことをどうぞお許しください!)自分自身はアニエスと堅く心に決めているので、よそに浮気して衝動買いしてしまうことはない。それでも、とにかくどんな服でも形・色・雰囲気を見て歩くのが大好きなのである。店員さんにしてみれば、とってもいや〜〜な客で、とっても変な客だろう。だって全く買う気なんてなくて、ただ見ているだけなのだから。その見方も半端でないときがある。先ほどの本屋の話と同様、面白いデザイン、「おおっ!」という色、そんな服に出会ってしまったら、やはりしばらくその場を動けないときがある。夢中になっているときは自分ではわからないけれど、相当間抜けな顔をして立ち止まっているのだろうか。または何かを思い詰めているように見えるのだろうか・・・。(おそろしい)
 そして、一番好きな雑貨屋となると、もっと大変なのだ。とにかく店の隅から隅まで、それこそ店の「ディスプレイ」や「非売品の置物」に至るまで、よ〜く見ないと気がすまない。しかも自分の好きなテイストの品物を置いていてなおかつ家の近所の店であったら、週に1度は必ず覗かなければ禁断症状が出てくる。それだけしょっちゅう見に行っていると、見たことのある物とまだ見ていない物に関してかなり目利き(?)するので、店に入って2分くらいで出てこれるときもある。それもますます怪しい。しかし、季節の変わり目などは雑貨屋さんもこれから迎える季節を演出する品物を競い合って入れ替えるので、そうなるとお店に1時間以上も入り浸りになってしまう。
 物は見て楽しいし、一目見て気に入って、何度見ても気に入って、どうしても欲しくてたまらなかったら買う。そうしておかないとこんなに物が溢れている世の中では、手に入れたくてたまらない物ばかり次から次に出てくるから。しかもこんなに「見ることが好き」な性分だと、なんでも手に入れてしまったら、鳥小屋(いや、鳥かご)のような小さな家の中がパニックになる。
 そんなとき私が心の中で思うのは「これは私のためのものじゃない」っていうことだ。気に入った物がたとえ安くても、本当にそれが自分のためのものか・・・ひと呼吸おいてみる。そうするとたいがい、「私のためのものじゃない」という答えが返ってくる。もちろんその逆もある。「これこそ絶対自分のためにあるものだ!」って、妙に自信過剰に思えてしまう瞬間もある。そんなときは意気揚々と思い切って買ってしまうのだ。
 「私のためじゃない」って思えると、海外旅行に行ってもあちこちの高級ブランド店でおきまりのようにカードを使ってしまうこともない。それでも、もちろん、見て歩くのはたまらなくたのしいけれど!!

1999.2.8

「建物探訪」

 渡辺篤史という俳優さんが「一般人の洒落た持ち家を拝見する」という番組をご存知でしょうか?玄関から入って家の中を全て見ていくという真面目な番組です。渡辺さんのソフトな語り口といやらしくない誉め言葉の見事さも手伝って、かなり以前から何年も放送されている番組だと思う。
 以前、東京地方では土曜の朝の7:30から放送されていて、私はかなりこの番組のファンで、これを見たさにまだ朝寝坊できる土曜もしっかり目覚ましをかけて起きていた。それがある時から水曜の朝9:30に変わっていて、見ることができなくなってしまった。密かな「渡辺篤史の建物探訪」ファンだった私はかなりショックだった。
 洒落た持ち家の家主は職業もさまざまである。企業のサラリーマンから小さな会社を経営している方・・・しかし、著明な方の家は決して出てこない。著名人の家を訪ねるという番組は他にもあるけれど、この「建物探訪」はあくまでも「建築物としての家」をきちんと見るということが主旨なのである。そこが私には非常に小気味良いところなのだ。一般人が設計士を頼りに、自分や家族のメンバーそれぞれの意見を聞き(かどうかは定かでないが)、家作りを進めた。そしてまあ、本音はいろいろ思うところもあるのだろうが、それぞれの家族も自分の部屋についてとりあえず気に入っているところを紹介する。その紹介の仕方も渡辺さんがうまく先導してくれて、なにか見ている側にいやらしい感じを与えないのである。それにこういうのってなんだか「マイホームを一生懸命建てた働き者の偉いパパ」っていう感じにスポットが当たりそうだが、そういうことでも全くない。家主の職業や人となりがくわしく紹介されることもあまりない。見ていくうちに単純に家族構成を知ることはできるけれど、一家総出で渡辺さんをお出迎えなんていうことも皆無なのである。
 そうやって実に淡々と「ほう〜っ」と思わせるような作りの家の中をさり気なく見ていく。そこでいつも気づくのは日本の家は採光を豊かに採り入れるという点を非常に考えていて、明るさがかなり重要なポイントだということに気づく。私自身も家の明るさは大切だと思うから、そういう点が日本的なのだろう。話は逸れるけれど、フランス人はまったく明るさなんて気にしないらしい。たしかにパリで明るく光が燦々と入り込むところに住むなんて、今やまったく無理だろうけれど。小さな60Wほどのスタンドひとつで夜を過ごしたりできるなんて目が痛くなりそう。そういうのを間接照明なんて日本ではいうけど、フランスではそれがイコール照明なのだろう。
 「建物探訪」で紹介される家には、設計士や建築家の腕の見せどころがたくさんある。たとえその家の専有面積がかなり狭くても、良い意味のゆとりや遊びの部分を作る配慮がうまく成されている。空間の美という点では茶のこころ時代から誇ってきた日本人が、現在でもそういう点においては格段にセンスがあるのかもしれない。
 まるで番組紹介になってしまったけれど、私は「家の中」を考えるのがこどものころから大好きなことだった。品川で生まれ育った私は、アパートで幼児期を過ごした。東京都下に両親は始めての持ち家を建て、私が物心ついたころ新しい家に引っ越した。こどもごころにそれは嬉しくて、当時の写真を見ていると、新居の床に頬をべったりつけ満面の笑みの私がいる。新しい家の中にふさわしい家具が、少しずつ増えていくことが楽しかった。自分の家がひと段落すると、他人の住居を建てる前の建築現場に行って、家の基礎のブロックの上を歩いて遊ぶことが好きになった。当時はさほど厳しくなかった建築現場は、私にとって格好の遊び場だった。ほんの少し出ている釘を、誤って足に刺してしまったこともあったなあ・・。ブロックで仕切られていてこれからそれぞれの部屋が少しずつ作られていく。この囲みはどんな部屋かな?ここの囲みはどうかな??そんなふうに考えをめぐらせることが楽しくてたまらなかった。家に帰ってから、その部屋の間取り図を書いて、しかも部屋それぞれにどんな家具を置くか、そんなことまで絵に書いてみたりした。まったく他人の家なのに、本当に余計なお世話だった。
 今は「建物探訪」でも見ない限り、もうどこも画一化されたようなマンションやアパートばかりが増えた。それでも家の中身は人それぞれ違う。画一化された箱でも、その中ではどうしたら自分らしく暮らせるか。それが今の私たちのテーマかもしれない。