1999.8.4

さぼってた・・・

 8月になってしまった・・・。毎年、8月の初めはちょっとブルーな気持ちになる。なぜかっていうと、夏が終わっちゃうって思うから。デパートのディスプレイを見ると、もう秋の景色。この暑い最中にコートを着てすましているマネキン人形が憎らしい。秋ってどっぷりと秋になってしまえば心から楽しめるんだけど、夏の後にやって来る季節だからほんの少しだけ疎ましくなる。
 でも、気分をニュートラルに戻しましょう〜!私の中では残り少なく感じる夏を、思う存分楽しもうっと。
 そうそう、ず〜っと気にはしていたのだけど、6月、7月って日記を書いていないのですよね。書きたいことがいっぱいありすぎて書けなかったのだけど、メールをいただいて反省をしました。こんな私のたまに書いている気まぐれな日記を楽しんでくれている人もいるのだということがわかり、深く反省をして、また新たな気持ちで書きたいと思います。なにとぞよろしくお願いいたします。
 珍しく今年の夏は、まだどこにも行っていない。心の中では、今すぐにでもパリに行きたい気分なのだけど、諸事情が重なって計画を立てられなかった。だから専ら、東京の中で遊んでいる。
 私の好きな東京は、青山に代官山に西麻布。こう書くといかにも遊んでいるみたいだなあ。だけど、その街のどこの店がおすすめっていうよりは、とにかく散歩をすると楽しいところなのです。私って散歩大好きで、休まずに3時間くらい平気で歩ける。どこも歩いていると「あらぁ?ここって東京だっけ?」と思うくらいの景色に出くわす。一枚の写真に収めたいくらいステキなところがたくさんある。そして緑もいっぱい。
 そしてそして・・・カフェがいっぱいある。これが大きなポイント。お酒があんまり飲めない私は、カフェにはこだわる。ひとりでも、友だちとでも、カフェに入ったらぼ〜っとするのが大好き。なんにも考えないで人間ウオッチングしたり、本を読んだり、手紙を書いたり。そういう時間が自分の全てをリフレッシュさせてくれるのです。
 家でお茶するのも好きだけど(その場合は緑茶)、でもなぜか街のカフェのほうがとてもとても非常に落ちつく。いっぱい人が周りにいるのに、なぜか本当に「ひとり」を感じられる。家でひとりでいても、ひとりを感じないのだけどね。
 こんなふうに書いていたら、また散歩に行きたくなっちゃった!

1999.8.26

西 瓜

 今、私は数多くの小学生(中・高校生もほとんどそうだろう)と同じ気分なのである。「8月が終わってしまう・・・」
 これから数日が最悪にイヤな毎日だ。宿題の残りのことももちろんだけど、9月1日の朝のことを想像しただけで、本当に頭が痛くなってくる。ふえ〜〜〜ん。くっ、くるしい!!
 ・・・そういう学生時代を送っていた私は、大人になっても、今頃は憂鬱になってしまうのであった。
 さて、皆さんは子どもの頃のことをよ〜く覚えているだろうか?私は結構覚えているほうだと思うのだが、その記憶は、どう考えても格好悪かった出来事ばかりなのである。
 そしてこのタイトルである「西瓜」のことも、ちょっと格好悪かった出来事だった。
 私は子どもの頃から、夏の果物の西瓜と桃が大好きである。西瓜も桃も、果物グランプリっていうのがあったら、私は1位をどっちにもあげてしまうだろう。殊に、暑い夏の日に、全体に冷たく冷えた西瓜を口にしたときの喜びといったら、ビール好きの人のお風呂上がりのビールと、どっちに軍配があがるだろう。
 あれは、小学生の頃であった。クラスの友達の家に遊びに行ったときのこと。何をして遊んでいたのかは覚えていないのだが、遊び疲れた私たちにおばさんが西瓜を切って出してくれた。ひとりっこで優雅に育っている友達の家はとっても上品な家庭で、部屋中がレースで飾られていた。その、まっ白いレースに囲まれた私たちの目の前に、おばさんは舟の形に切った西瓜を、ひとりひとりに置いてくれた。西瓜用のスプーンつきであった。
 別にこれは珍しい光景ではないのだろうけれど、我が家ではこのスプーン付きの食べ方はほとんど目にしないものであった。ワイルドな我が家は、西瓜にがぶっとそのまま噛みつけるように、私や弟に(父も)庭で西瓜を食べさせるのが常だったのだ。きっと家の中で食べると、私たちがベタベタと汚すからだったのだろう。
 舟型のスプーン付き西瓜を目の前にした私は、殊の外、緊張していた。白いレースに囲まれた真っ赤な西瓜は、なんだかものすごく高級感が漂っていて、切られる前の西瓜にもレースが掛かっていたのではないかと思えるほどだった。
 まして友達は「食卓塩」なんてかけている。かなりの通なのだろう。
 とにかくその西瓜は美味しくて、私も順調に食べ進めていたのである。無我夢中で食べ終えて、「ごちそうさま」と言ったみんなの西瓜の残骸を見て、私は驚きのあまり黙ってしまった。
 私の西瓜の残骸は白いお皿と景色が同化している。みんなの西瓜の残骸は白いお皿に赤が映えている。横から見ると、まだまだ食べられそうな美味しそうな赤の部分が2〜3センチくらい残っているのだ。
 私の残骸は・・・、もうちょっと頑張ってつついていれば、皮の表面に出られそうであった。
 そのときばかりは、ワイルドな我が家をとても恨んだのであった。