東大病院小児科の病棟で、康利君は不思議な存在です。彼は、生まれてこのかた14年間、
一度も言葉を発したこともなければ自ら動いたこともありません。けれども実に多くの人々が、
毎日彼に会いに訪れます。あるときは、この病棟にずっと入院した子供たちであったり、その
家族であったり、あるときは、かつての受け持ち医師てあったり、理学療法士や、病棟心理士であったり、学校の先生であったり、学生さんたちであったりします。皆
それぞれの仕事としての役割だけでなく、彼と語り、時をともにして、元気づけられ帰ってい
くのです。初めて彼の部屋を訪れた人は、命の綱である呼吸器とモニターの音に圧倒
されても、しばらくすると和やかな日常の空間に落ちついていきます。病棟で長い間病と戦って
退院した子供たちが、医療スタッフの常駐するナースステーションより先に、彼の部屋を
訪ね、「康利君に会うと元気になるんだよね」と語るのを見ながら、何が彼の魅力なのだろ
うといつも思っていました。
私たちの問いかけに控えめに眼の動きで「うん」「ううん」と答えるのが、今までの彼の
唯一の表現手段でした。彼の持っている世界を知りたくて、いろいろな人々が、彼に"言
葉を教えようとしました。眼筋に乗せた電極を使つてテレビゲームを自分で操作するところま
ではうまくいきましたが、文字盤を動かすほうは、その操作の複雑さもあってなかなかはかどり
ませんでした。そんなときに養護学校の石本先生が、鍵盤のひとつひとつの音を示して作曲
する方法を思いつきました。彼の思う音を探す辛抱強い作業が必要でしたが、あっという問
に数曲ができたそうです。私は初めて彼のお母さんより、遠慮がちに出された録音テープを聴
かせていただいた時の感動をいまだ忘れることができません。それは、当初私が予想していた、
子供がつくるであろう軽い音楽のメロディ-ではなく、何かもの悲しいような心の奥に訴えか
けるような深い響きでした。ずつと彼のそばにいらしたお母さんの喜びが、私の心にも広がっ
てきました。彼の部屋に多くの人々が訪れていたわけが、この音楽を生み出した彼の世界
によるものだと改めてわかりました。と同時に、"言葉をつたえることのできる以上のメッセ-
ジを音楽のメロディ-にこめられること"も彼は教えてくれました。
彼が背負ったウェルドニッヒホフマン病は、脊髄前角細胞を壊し、呼吸筋を含めた全身の
筋が動かなくなる病気で、現代の医学をもってしても、残念ながら根本的治療法はありません。
欧米の著名な内科の教科書には、「呼吸器を使用したいたずらな延命はすべきではない」と書
かれています。そのとおりに"治療"していたら、今の彼も、このCDもこの世にはありません。
かけがえのない彼の存在の重さが、今さらのように伝わってきます。
このCD誕生の陰には、指導をしてくださった養護学校の先生のほかにも、編曲、演奏、
録音、製作に奔走してくれたたくさんの仲間たちがいます。皆、彼の世界に初めて触れ、その
感動をひとりでも多くの人々に伝えたい一心で、あっという間にこのCDができてしまいま
した。そこから閉鎖的といわれがちな医療の場から、また新しい人々とのつながりの輪が彼の
もとから生まれてきています。そんな出会いと感動を与えてくれた康利君に、心からありがとう
と言いたいと思います。